モみをさながらに、おとにうつしてこよひこそ、聞くとは思へ、うため(歌女)の君に。
[#ここで字下げ終わり]
我は嘗てダンテ[#「ダンテ」に傍線]の詩をもて天下に比《たぐひ》なきものとなしき。さるを今アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]が藝を見るに及びて、その我心に入ること神曲よりも深く、その我胸に迫ること神曲よりも切なるを覺えたり。その愛を歌ひ、苦を歌ひ、狂を歌ふを聞けば、神曲の變化も亦こゝに備はれり。アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]我詩を讀まば、必ず我意を解して、我を知らんことを願ふならん。斯く思ひつゞけて、やう/\にして眠に就きぬ。後に思へば、我は此夕我詩を評せしにはあらで、始終詩中の人をのみ思ひたりしなり。

   をかしき樂劇

 翌日になりて、ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]を尋ね求むるに、何處にもあらざりき。ピアツツア、コロンナ[#「ピアツツア、コロンナ」に二重傍線]をばあまたゝび過ぎぬ。アントニウス[#「アントニウス」に傍線]の像を見んとてにはあらず。アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]の影を見る幸もあらんかとてなり。彼君はこゝに住へり。外國人にして共に居るものもあり。いかなる月日の下に生れあひたる人にか。「ピアノ」の響する儘に耳|聳《そばだ》つれど、彼君の歌は聞えず。二聲三聲試みる樣なるは、低き「バツソオ」の音なり。樂長ならずば彼群の男の一人なるべし。幸ある人々よ。殊に羨ましきはエネエアス[#「エネエアス」に傍線]の役勤めたる男なるべし。かの君と目を見あはせ、かの君の燃ゆる如き目《ま》なざしに我面を見させ、かの君と共に國々を經めぐりて、その譽を分たんとは。かく思ひつゞくる程に、我心は怏々《あう/\》として樂まずなりぬ。忽ち鈴つけたる帽を被れる戲奴《おどけやつこ》、道化役者、魔法つかひなどに打扮《いでた》ちたる男あまた我|圍《めぐり》を跳《をど》り狂へり。けふも謝肉の祭日にて、はや其時刻にさへなりぬるを、われは心づかでありしなり。かゝる群の華かなる粧《よそほひ》、その物騷がしき聲々はます/\我心地を損じたり。車幾輛か我前を過ぐ。その御者《ぎよしや》はこと/″\く女裝せり。忌はしき行裝かな。女帽子の下より露《あらは》れたる黒髯《くろひげ》、あら/\しき身振、皆程を過ぎて醜し。我はきのふの如く此間に立ちて快を取ること能はず。今しも最後の眸を彼君の居給ふ家に注ぎて、はや踵《くびす》を囘《めぐら》さんとしたるとき、その家の門口より馳せ出る人こそあれ。こはベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]なり。滿面に打笑みて。そこに立ち盡すは何事ぞ。疾《と》く來よ。アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]に引きあはせ得さすべし。彼君は汝を待ち受けたり。こは我|友誼《いうぎ》なれば。なに彼君が。と我は言ひさして、血は耳廓《みゝのは》に昇りぬ。戲《たはむれ》すな。我をいづくにか伴ひゆかんとする。友。汝が詩を贈りし人の許へ、汝も我も世の人も皆魂を奪れたる彼人の許へ、アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]の許へ。かく云ひつゝ、友は我手を取りて門の内へ引き入れたり。我。先づわれに語れ。いかにして彼君の家に往くことゝはなしたる。いかにして我を紹介するやうにはなりし。友。そは後にゆるやかにこそ物語らめ。先づその沈みたる顏色をなほさずや。我。されどこのなよびたる衣をいかにせん。かの君にあまりに無作法なりとや思はれん。かく言ひつゝ我は衣など引き繕《つくろ》ひてためらひ居たり。友。否々その衣のままにて結構なり。兎角いひ爭ふほどに我等ははや戸の前に來ぬ。戸は開けり。我はアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]が前に立てり。
 衣は黒の絹なり。半紅半碧の紗《しや》は肩より胸に垂れたり。黒髮を束ねたる紐の飾は珍らしき古代の寶石なるべし。傍に、窓の方に寄りて坐りたるは、暗褐色の粗服したる媼《おうな》なり。彼君の目の色、顏の形は猶太少女といはんも理《ことわり》なきにあらずと思はる。我友がむかし猶太廓《ゲツトオ》にて見きといふ少女の事は、忽ち胸に浮びぬ。されど我心に問へば、この人その少女ならんとは思はれず。室の内には、尚一人の男居あはせたるが、わが入り來るを見て立ちあがれり。アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]も亦起ちて笑みつゝ我を迎へたり。友はわざとらしき聲音《こわね》にて。これこそ我友なる大詩人に候へ。名をばアントニオ[#「アントニオ」に傍線]といひ、ボルゲエゼ[#「ボルゲエゼ」に傍線]の族《うから》の寵兒なり。主人の姫は我に向ひて。許し給へ。おん目にかゝらんことは、寔《まこと》に喜ばしき限なれど、かく強ひて迎へまつらんこと本意《ほい》なく、二たび三たび止めしに、ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]の君聽かれねば是非なし。さき
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