も、各※[#二の字点、1−2−22]摩擦しあつて、残んの芸を磨くのも、散り際の花に似た意気を見せて面白いと思ふ。席に縄張りなくピツクアツプが自在だと落語の精神を忘れた泥くさい芸人だけが売れて行くといふ現象を来たすこともあらう。そんな連中が幅をきかすよりは仲間うちの研究会で技術を競ひあつて、巧拙の順をはつきりした方がいいのだ。かういへば、ギルド的な精神を高調することになるのだが、落語界は元来がそのギルド組織にぴつたりしてゐるところではないか。だから、その時代的な特性をはつきり発揮してゐる方が、そのものらしくていいのだ。とはいふものの、それが資本主義の力でくづれて行くのも事実である。とすればどうなるか。繰りかへすやうに、落語は滅びると認識することが落語を愛することなのだ、また反対に、落語を愛するとはその滅びることをはつきり考へることなのだ。なまじ現代について行かうとはしない覚悟と決意がなくてはならぬ。
私は芸人が楽屋裏で、どんな生活をしてゐるか知らぬ。よくそこでは猥談より以外には語られたことがなく、不真面目さといふは愚か、ますます時勢におくれた態度より見出されぬと耳にする。些か反語を弄し
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