てゐる芸人も、きりまでまつたうに御機嫌をうかがふのであつたが、間がつかみにくいといつた感じ。味の消失。
 しかし、この合理主義が落語界を甦生させたとなればこんなありがたいことはないが、そんなにうまく行くかどうか。吉本的にあつては、むしろ、落語から外れてゆくものこそが客と大衆とをつかんでゐるのである。落語家が、君たちは漫才の助けをかりてやつと息を吐けるやうになつたといはれたら、どう思ふか。それを聞きたい。
 吉本的、東宝的いづれにしても、落語とその雰囲気を保存維持するといふよりは、現代的に変改することによつて、落語でなくして行くのである。それが当然の道行きであるからには、「落語」はあきらめねばならぬ。
 落語界はいろんな風に紛糾してゐるさうである。睦、協会、東宝、芸術協会なぞと別れてゐると聞いたが、今はどうなつてゐるのだらう。各※[#二の字点、1−2−22]の寄席に、この三派四派の顔ぶれがごつちやになつてゐるところを見れば、妥協和解の道が開かれたのだらうか。落語界が自滅して行くのは、かうした内紛からだと誰かがいつてゐたが、私は必ずしもさうは思はぬ。三遊、柳の昔の華々しい対立は望めぬとして
前へ 次へ
全9ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
武田 麟太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング