すぎるやうだが、私は寧ろ、それでいいと考へるのだ。時勢にうとい方がいい。いつかまだ吉本が今日のやうに東京興行界を席巻しない以前、早くもそこへ身売りして行つた芸人に芸人魂のあるのはゐないと放言したことがある。金語楼、小文治、山陽、三亀松、かうならべただけで、心ある人はうなづくだらう。芸人としての意気地や義理人情なぞは、もとより下らないものだ。しかし、それさへ持たぬ芸人には信用できない。
おそかれ早かれ、資本のもとに芸人と雖も統制されて行くのはいふまでもない。だから、彼らの方が聡明で先覚者なのかも知れない。だが、と私はいひたいのだ。さうした資本と強い者に抗する気持に、芸人としての本領があつた。その古さが生命なのだ。それを、色々と押しつめられて屈服して行くのは仕方がないが、さつさと軍門に下つて楽にならうといふのは賛成出来ない。今は、さうした気魄がどれだけ残つてゐるか疑問だから、かう書いて来たもののすべては愚痴である。
いつだつたか、まだ金車があつた頃、可楽が高座に上つた。芸者を二、三人つれた成金的が、上等席に来てゐたが、次から次へと芸人にいやらしい弥次をとばして面白がつてゐた。客も不愉快
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