よつて動いたり、規律を守つて行くのが窮屈に思はれたのだ。もつと、お祭り騒ぎのやうに反抗したかつたのだ。
7
汚い溝川が流れてゐる。小さい木橋がその間に架《かか》つてゐた。東側に古い警察署があつた。川を越えて、丁度その向ひ側に、代書屋が四五軒並んでゐた。そのうちに、しもた屋の店さきを借りて、仙吉は坐つてゐる。彼もいつの間にか代書人になつてゐるのだ。へんに心易くなつたスパイにでも便宜を計つて貰つたにちがひない。筆蹟のいい彼は、客を待つて、届書や証書類の代書をやつてゐた。夕方までそこにゐて、それから、ガラス屑屋と下駄屋との間の家へ帰つて行つた。時々、家の中は電燈もついてゐなく、夕飯もできてゐなかつた。燐寸工場に出てゐるウメ子は娘らしくなく、退け時が来ても帰つて来ぬことがあつたのだ。今でも定期的にたづねて来る藤本といふスパイは、代書店にゐる仙吉のところへ来て、四方山話《よもやまばなし》をした後、
「おウメちやんにも気をつけた方がええぜ。虫がつくかも分らへんからな」と云つた。
虫? ウメ子のところへはよく会社の若い男が遊びに来た。仙吉は彼を相手に「主義者」としてのかつての自分を
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