度も彼はひつぱられた。それでも彼は「敵打ち」のつもりで、皆の先頭に立つてひるまなかつた。要求の大半は通り、解決した。
 仙吉は工場分会長になつた。彼は子供のやうに得意になつた。それから比較的落ちついた生活が続く。ガラス問屋と下駄屋との間の露路に平家を一軒借りた。そして、ウメ子も燐寸工場に働くまでに成長した。スパイはつねに出入りしだした。しかし、今は仙吉に少しばかりの畏敬の念を持つてゐるやうに見られた。彼らは小娘のウメ子にふざけたり、彼と冗談《じようだん》を云つたりした。

     6

 日本の労働運動は次第に自然発生的なものから意識的なものへと移つて行つた。今までの運動は建て直された。指導者は色々とムツカシイ問題について考へねばならないのだ。一回のストライキ以来、平穏に存続して来たMハブラシ工場の組合分会の中にも、仙吉に云はせると、小ムツカシイ理窟を云ふ若いやつが出て来た。仙吉には「かなはん」ことであつた。だが「あのストライキの時の俺を忘れて貰つては困る」と彼は云つた。若い連中はこの先輩にも別に遠慮しなかつた。俺は引退しよう。そして彼は平の組合員になつた。何だか、彼には精確な理論に
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