もあるものか。袴やええ[#「ええ」に傍点]着物がいるのやつたら買うて寄こせ云うたる」そしてさう云つた。結果は失業であつた。ウメ子は学校から極端にいぢめられた。
二年生になる頃から、同居してゐるお神さんに教へられて、風船を作ることになつた。赤、紫、黄、青、白、五色の花弁のやうな紙片《かみきれ》をチヤブ台の上にのせた。毎日糊をこしらへてそれを作つた。そして夜になると、お神さんのこしらへたのと一緒に紺の風呂敷に包んで坂を越えて遠い道を歩き、問屋町の風船屋へ持つて行つた。しかし、八つや九つの女の子は風船を作るより、それで遊んでゐるのが普通である。
それからセルロイド櫛《くし》の飾り附けもやつた。これはアラビヤ糊と云ふ西洋の糊を使つた。小さい金具の飾りを「ピンセット」で挾《はさ》むのだ。この方がダメになると袋の紐附けをやつた。仙吉が失職すると、彼もこのあまり金にならない仕事をしてゐる少女の手伝ひをした。
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少し手間どつて来た。簡単に書かう。こんな状態のラレツは読者には余り興味あるものではないから。とにかく以上のやうな父親とその生活の感化のもとに彼女は次第に反逆の呂律《ろれつ
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