反逆の呂律
武田麟太郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)木綿縞の袷《あはせ》だつた。

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(例)栄《え》エウ[#「エウ」に傍点]に
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     1

 囚衣を脱ぐ。しかし、着るものがなかつた。連れて来られた時は木綿縞の袷《あはせ》だつた。八月の炎天の下をそれでは歩けないだらう。考へて襦袢《じゆばん》一枚になつた。履きものには三銭の藁草履を買つた。
 仙吉はかうして午前五時、S監獄の小門《せうもん》から出た。癪なので振りかへらずに歩いて行つた。畠と畠との間の白い道がステーションまで続いてゐる。彼のうしろで次第に高いコンクリートの塀を持つた監獄が遠くなつた。
 汽車に乗るまでには時間があつた。三ヶ月の服役の報酬としての四円十銭のうちから、駅前で大福餅を食つた。昨夜《ゆうべ》のらしく、餡《あん》は饐《す》えてゐた。だが彼は頬を盛に動かし、茶をのんでは、咽喉骨《のどぼね》をゴクリゴクリとさせた。
 汽車を下りてから、村まではなかなか遠い。夕方の燈が点《つ》く。稲の葉の香《にほひ》が際立つて鼻をついて来た。野良帰りには不思議に逢はなかつた。唐もろこしに囲まれた姪《めひ》の家まで来た。背後《うしろ》の山はもう真黒に暮れてゐた。
 姪の家では縁側で彼の娘のウメ子が泣いてゐた。部屋の中の黄色い電燈を逆に受けて、ウメ子はミジメに見られた。ケチン坊の姪の扱ひ方が想はれた。仙吉はトツサに提げて来た袷を投げて、娘を片手で抱いた。びつくりして、もつと泣き出した。
 夜更けるまで、姪夫婦と諍《いひあらそ》つた。姪は養育費を一円五十銭よこせと、云つた。仙吉はアホコケと云つた。一ヶ月三十銭にしても、一円もかかるまい、とどなつた。そして脂臭い一円札を投げた。姪はそれを拾つて、いつも腹にくくりつけてある胴巻の中にしまひこんだ。
 朝になれば如何《どう》しよう。仙吉にはもう耕す土地はなかつた。小屋もとりあげられた。村の旦那と争ふものは、いつも、このやうな結果になるのだ。村に居られないものは、O市に出るよりしかたがなかつた。都会へは四方からいろんな人が集つて来る。そして、仙吉の考へに従へば、「栄《え》エウ[#「エウ」に傍点]に暮せるのだ」何をコセコセした村でなんかくすぼつてることがあらうぞ。
 朝になつた。仙吉は去年のまま洗つてないので、黄色くなつてゐる浴衣《ゆかた》を着た。その上に、黒帯でウメ子を背負つた。
「一生、こんな村には帰つて来んぞ」
 姪はかまどの煙の中から、どなり返した。
「さつさと失せろ! 顔見るのもイヤぢや」
 駐在所では仙吉の帰つたのを知つてゐた。駐在所は地主の家に怒鳴りこんだ仙吉を取り押へる際に、彼のために、池ん中へ投げられた。そのしかへしは、彼を三ヶ月の間、S監獄に送つたのでは足りなかつた。村の若い連中をそそのかした。あんな旦那にタテつく社会主義の野郎は思ひ切りこらしめてやらにやならん。村の若い連中は仙吉を待ち伏せした。
 池の側で仙吉は襲はれた。まだ朝の気が池の上をはつてゐた。ウメ子は柿の木の下に投げおろされた。草の露で彼女は濡れた。幾度も若者たちは怒声を発した。その度毎に仙吉の苦しさうな呻《うめ》き声《ごゑ》がきかれた。池の水は多くの波紋を作つて揺れた。若者たちが去ると仙吉は柿の木の下に来た。浴衣からは水が滴《したた》り、真青な頬からワナワナ震へる唇にかけて、小さい浮草が一面にくつついてゐた。裸体《はだか》になり、娘の横に彼も倒れた。そして、親と子は列んで泣きだした。

     2

 この小さい文章の書き手である武田はウメ子から、以上の話をきかされた。しかし、それは彼女がやつと四歳の時だ。だから、以上は彼女が実見したのではないだらう。父の仙吉が酔つぱらつて、幾度も彼女に話したのが、はつきりとした形を彼女の頭の中に作つたのにちがひない。彼らはO市へ出て来た。そして、それから十五年も経つ。十五年と云ふ年月は貧乏人のところでは色んな事件を起させるに十分だ。しかし、くはしいことは貧乏人である読者の想像に委せて、物語に必要な点だけを、書き抜かう。ウメ子の語つた通りに。

     3

 仙吉は色んな職業の中を転がつた。最初、車夫をした。町の道すぢもはつきり知らなかつた頃だ。脚を悪くして稼いだ。すると、警察から親方のところへ来た。村で小作料のことで地主と争つたことのために、彼は「社会主義者」の札《ふだ》をつけられてゐた。親方は曳き子の仙吉を逐《お》ふ決心をした。その夜、仙吉はやつと遊廓へ行く客を得て走つた。冴えた霜夜《しもよ》であつた。二十銭を受取つて帰つた。遅い夕食として夜泣きうどんを食はうとすると、確かにどんぶりの中へ入れた金がなかつた。仙吉は二時すぎ
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