の堅い男を変人だと呼んで特別扱ひをしてゐて、それは彼を益々孤独にし、人づきあひを下手にさせて行くのに役に立つたのであるが――彼とても、気のあつた相手があれば大いに談ずるだけの熱情は持つてゐる。かつて一人の板場《いたば》が病気になつたので、助《すけ》に来た若い男があつたが、お互ひに久保田万太郎の愛読者であることを発見して、二人して大いに彼の芸術を論じたことがある。彼は自分がなかなか饒舌《ぜうぜつ》であることを知つて驚いた程であつた。そして、知らず識らずに昂奮して来、声も上づつて眼がしらにも涙をためて、如何に料理すると云ふことも芸術であるか、これを客に提出するための配合を考へるのも芸術的な悦びを味はさせるものかと力説したのである。そして、相手の遠慮するにも拘らず、ビールをおごらねば気がすまなかつた。彼自身は一滴も口にせず、飲めよとすすめるのであつた。
しかし、自分も時にはそのやうに快く昂奮できるのだと知つた悦びは、翌日冷静になつた時、今月分の小遣銭をすでに費消して了つた後悔のために相殺《さうさい》されてゐた。そして、暫くの間、そのことをクヨクヨと、つまらないことをしたものだと思つてゐた。
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