の女房も驚いた、と云つた。それは、突然、婆さんが泣き出したからであつた。婆さんは泣きながら云つた。
「わかりますよ、わかりますよ」それから嗚咽《をえつ》で声を震はせて――「貧乏がすぎて気が狂つて、それで若死して――お神さんの気持も、その時のあなたの気持も、わたしにはよく分りますよ」
それから二人とも黙つて了つた。爺さんは階下にわざわざ下りて行くのが大変なので、蒲団の裾の方に尿瓶《しびん》が置いてあるが、そこで小便をした。それから、褐色の斑点の出来てゐる太い腕を拱《こまね》いて横になつたが、――そのまま、永い間眠れなかつた。
爺さんは眼ざといので、いつも六時前にはさめるのであつた。だから、本当を云へば、眼ざまし時計なぞは要らないのである。しかし、彼は窓際から射して来る白々とした朝の光のうちに、枕もとの時計の針が廻つて七時になるのを待つてゐた。もう追つけうたひ出すぞ、と考へてゐると、チクタクの音を消して、突然、時計は陽気に「煙も見えず、雲もなく」と音楽を奏しはじめた。爺さんは安心したやうな表情で、横に枕を外して寝てゐる女の子を揺り動かした。
「さア、チイ坊や、時計がうたつてるから起きる
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