云つてゐる。
そして、四号室の女給を嫉妬するわけだが、それは全然意識しないで、彼女の悪口を盛んに云ふのである。女給の女房れんに評判の悪い原因は主としてこの点にある。
――かうした人生の損をしてゐる彼はもう一つ悲劇を背負つてゐる。それは、彼が女給である情婦を心から愛して了つたことである。女を全体として信用できない男が、一人の女を愛するとは!
彼は他の女との交渉中に、烈しく情婦の女給に対して嫉妬を感じることがある。この脆い女と同性である情婦も亦、このやうな姿態を他の男に示すのではないか、と云ふ考へが突然彼を苦しめるのである。自分の好色漢的な行為が却つて、嫉妬をひき起す動因になるなぞは救はれないことだ。
更にこの悲劇が単なる悲劇として終つてゐるのであるが、それはこの顛倒《てんたう》した嫉妬に当るだけの行為が、情婦に少しもないことである。彼が接した数千の女性のうちで最も物堅いのが自分の情婦であつたことは、彼を救はないばかりか、益々疑ひ心の迷路に彼をひきずりこんでゐる。
かつて、暴力団狩のあつた時、彼の仲間も挙げられたのであるが、彼はその男の情婦で四号室の女と同じカフェーに働いてゐるのに電話をかけて呼びよせた。女は少しく自棄気味《やけぎみ》なところもあつて、泥酔して彼の誘惑に辷《すべ》りこんで来た。彼は深夜、この女を見るのに堪へられなくなつて、あづまアパートに帰つて来た。彼は情婦が外泊してゐるか何かの裏切行為があるかと、恐れながら、実は期待してゐたが、女は四号室に平穏に眠つて居り、彼を見ると寝場所を作つてくれるのであつた。――彼は張りつめて来た気持が折れると、自分に腹が立つて来て、急に女に対して怒り出した。そして、手前は、俺がサツへあげられたりなんぞしたら、安心して浮気しやがるだらう、と罵り言葉を繰りかへして撲《なぐ》るのであつた。撲りながら、自分が情けなくなつたのも事実であるが、このやうな彼の倒錯した気持は、この後もずつと続いてゐる。
最近のこと、彼はバクチ場で負けたので、情婦を抵当として、彼女に気を寄せてゐる某に金を借りたことがある。その時は、すぐ回収し得たので何の変化も二人の関係に起らなかつたわけだが、彼は徹夜のバクチから帰ると、また例の癖が出て、手前は某に好意を持つてるんだらう、さうにちがひない、さうでなければ、やつがあんなに手前を抵当に金を貸すはずがない
前へ
次へ
全19ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
武田 麟太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング