たしても時間は過ぎて行くばかりだ。折角予定してあつた期日のある仕事は、次から次へと手もつけずに終つて了ふ。焦躁に駆り立てられながら、私はなすこともなく、じつとしてゐるのであつた。最初の踏み出しを蹴つまづいて了つたとは云ふものの、出来るだけ早く姿勢を取り直せば、最小の犠牲で何とかすむのだ。さうは理窟で分つてゐるのに、私は誇張的に、もう駄目だ、もうどうすることも出来ないと、うたふやうに自分に云ひ聞かせたりする。そして、一日おくれればおくれるだけ、倍加的に立ち直りにくくなるのは決つてゐるが、それもある限度があつて、遂に、今となつては、いくら仕事をする気になつてもおつつかないと云ふ瞬間が来る。私はそれを待つてゐたかのやうに、やつと寂しい落ちつきを得て、ぐつたりと疲れて了ふ。仕事を渡さねばならない相手の怒つた表情や、家族の者たちの当惑した顔が浮んで来て、私を責めるが、私は素知らぬ風を装つて、しかし、気弱くそつぽを向いてゐる。
知つた人に逢ふのがいやで、……そのくせ、偶然、誰かに出会つたとすれば、それこそ人なつつこく、永い間の孤独な沈黙から解放され、久しぶりに友だちと快談する悦びに駆られて、何
前へ
次へ
全31ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
武田 麟太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング