、多摩川、相模川なぞの流れに沿うて、軽々と気まぐれな歩き方をしてゐる。この方は、まだしも健康なので、もう一つの場合は、大隠《たいいん》は市にかくれるなぞとの誰かの口真似をして、盛り場から盛り場へさまよつた後に、木賃宿町の一隅なぞに、自分を見出すのだ。それらの渡り歩きの是非はさておいて、さう云ふことに生活圏内からいよいよ離れて、無為に魂をすりつぶしてゐるのは、何としても、下らない唾棄すべきわざだ。殊に、その浪々の道すぢを自分に言訳するために、後日の零落《れいらく》に備へての足ならし、身鍛へだなぞと、感傷的に思ひ込んでゐることに於てをや、と云ふべきであらう。
 だが、今一言、……それにも拘らず、私には仕方のない事実なのだ。

 ある年の暮れ、……いや、昨年の十二月の末にも、私はかうした発作に似た心境に落ち込んだことがある。それまでは大晦日《おほみそか》に到る日数を精確に計算して考慮に入れた上、仕事の分量を定め営々として働いてゐた。私は沢山の家族に楽しい正月をさせてやらねばならなかつた。私は、多人数を背負《しよ》つて歩くのが好きであつた。そんなものなしにすませられるなら、それに越したことはな
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