うとしても、時機が来ないうちは、手の施しやうがないのだ。いや、実はそんな風に努力してゐると云ふのも自分への見せかけだけで、どうにでもなれと、すつかり盲目的な勢ひに委せてゐるのだらう。退屈な日々が、本当は意味と内容の多い暮しである事実から眼を蔽つて、ああ、もう沢山だ、うんざりしたと嘯《うそぶ》いたり、何も彼もすべてを投げすてたい、それらの煩はしいものから逃げ去りたいと、念じたりしてゐる。時には、一切|放擲《ほうてき》、生命さへも別に執着もなくなつて、誰かに簡単にくれてやりたい状態にさへなつてゐる。現実的な望みなぞ、嘘みたいにはかなく消えて、雲や水に同化したいと云ふ及びもつかない野心を起すこともある。
かうして、幾日でも当然の生活から遠ざかり、人生の時間をむだ使ひして了つて、悔ゆるところがない。そして、その罰で、蘇苔《こけ》みたいに皮膚の上に厚くなる垢のやうなものが、心の底にも重つ苦しくたまつて来るのであるが、普通なら耐へられないところを、無神経を装つて鈍感でゐる。
仕事や家族、交友、その他の現実関係から脱け出して、身心ともに放逸させてゐる間は、ある場合は、近県の寂れた宿場町や、利根川
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