拘《かかは》らず、何かの都合で、一日二日入れずにゐると、もう、あの浴後の全身がさつぱりと軽くなり、豊かにのびのびとしたありがたい感触を忘れて了つたかのやうになる。日が経つに従つて、級数的に入浴が面倒で億劫《おつくふ》になり、さては、爪垢がたまつて、肌はじとじとしはじめ、鼻わきから頤《あご》にかけててらてらと油は浮くし、目脂《めやに》はたまり放題、鼻糞は真黒にかたまつてゐる、身体を動かせば悪臭がにほつてるにちがひないのに、更に意に介しなくなるのだ。いや、時には、もつともつと身体を汚してみないかと、私《ひそ》かに自分にけしかけて、じつと蘚苔《こけ》のやうなものが、皮膚に厚くたまるのを楽しんでゐるかに見えたりする。
私の歯のことを、読者は知つてゐるだらうか。上の前歯は二本は完全に根まで抜けて了つて、他の二本も殆ど蝕《むしば》まれて辛うじて存在をとどめてゐる。下の門歯も内側からがらん洞が出来て、いつまで保《も》つか分らない。奥歯に到つては、それ以上にひどい状態で、やられてゐない歯はほんの算へるほどだ。全部が駄目になるまでに自分が死ぬか、さうでなければ、総入歯をして不自由な念《おも》ひをしなければならない。もともと私は歯性はよかつたのに、いつ頃か、一本の齲歯《むしば》に悩むやうになつて、それが次第に増えて行つたのだ。はじめは、医師の手当も受けてゐたが、規則正しく通へないため治療が中途半端になりがちのところへ、なまじ工作しかけた箇所が却つて、腐蝕の進行を助けることになると云つた始末で、次から次へと焦躁を感じたほど早い速度で犯されて行つた。さうなると、私の悪い習癖が出て、今まで普通なみには手入れしてゐたのも莫迦らしくなり、投げるやうにうつちやらかして了ふ。どうせ、一旦、故障が出来て了つて、眼に見えて悪くなつてるんだ、それを少し位とどめてみたつて五十歩百歩ではないかと云ふ考へ方が強くなる。それよりも、一本二本の歯をいちいち補ふ煩《わづら》はしさよりは、その手数をまとめて、一度に払つた方がいいとするのである。
かうした性向は、私のその他の生活の上にも出ないわけにはいかない。小学生から中学生のはじめまでは、些《すこ》しは無理をしても一度の遅刻も早引もない皆勤をつづけてゐたのを、母親が急死したりして、はじめて欠席してからは、もう理由もないずる休みも平気になつて了つた。果ては高等学校で
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