足もとを踏み越えて、小さな窓に乾すのであつた。
「――曇つてゐるな、雪空だ、これでは日光消毒にならんかね」
 と、独り言を云つて、
「――どら、出かけようぢやないか、……おい、天下の怠け者、起き給へ」
 彼は私の蒲団を剥ぎとつた。
「――なんだ、こんな関取みたいないい身体をしてをつて、働きに出ようともせん、……我輩がひとつ、どこか職を世話してやらうかね、……それにも及ばんかな、景気のいい軍需品工場なら、どこだつて、歓迎するだらう、……」
 私はにやにや笑つていた。
 老人は障子の外の、廊下の片隅に置いてある檻《をり》の狐に合掌して何か云つてゐた。よく聞くと、
「――ほんなら、これから、ちよつと外へやらして貰ひます、お狐さま、……暫く、御辛抱下さりませ」
 薄暗い中に、狐の光る眼が見えた。特有のたまらない悪臭が、廊下に一ぱい流れてゐた。
「――さア、出かけよう、君は、何が食ひたい、……さうだね、あまり贅沢なものはいかん、口がおごつて、癖になるからね、お稲荷さん、君は酒好きだから、先づ一ぱいはじめようか」
 元気よくしやべり立てる「高等乞食」のうしろから、我々はついて行つた。
 宿の主人は、帳場で、宿帳の整理をしてゐたが、老眼鏡越しに、珍しく揃つて出て行く三人を不審さうに眺めてゐた。

 私は相変らず、にやにや笑つてゐた。さうして、何かごまかしてゐる表情より、仕方がなかつた。
 雪もよひの空は、暗澹として垂れさがつてゐた。人々はその下で、いかにも師走《しはす》らしく、動きまはつてゐるのだ。家々の表口には、すでに新春の飾物さへ見える。私は、ああ正月が来るのか、なぞとよそよそしく呟いて、沢山の人間にめでたい年を迎へさせねばならないのを、忘れてゐたかのように装つてみる。
 何々食堂とか何々酒場とか云ふ、田舎訛《ゐなかなま》りの小女が註文された品を甲高《かんだか》い声で叫ぶ大衆的な店を飲み歩いて、三人は相当に酔払つてゐた。午前中からの、それもあまり性《たち》のよくない酒は、頭の皮と脳の間にたまつて、不快な限りであつた。狐つかひの老人は、悪酔ひして青くなり、足と腰をとられて椅子から倒れさうになつてゐるのに、尚も意地汚く口を尖らせて酒を吸ひ込むやうにしながら、盃を手離さなかつた。「高等乞食」に、見えすいたお世辞を使ひ、不自由さうな歯で、あれこれと食ひ物を云つては、もぐもぐ噛んでゐた
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