として警戒の必要もないし、放置してある。毎日どこへ出かけるのか、古い友だちのつとめてゐる官署を訪ねて、普通の調子で話をして来るらしい。政界勢力関係についての内幕を聞いて来たり、ファッシズムの進行状態、戦争や満洲の問題のニュースを噛《かじ》つて来て、大声で自分たちに披露する。
「――そんなことあまりしやべりちらしてゐると引張られるよ」
 気の変な者に注意しても仕方がないのだが、つい自分が云ふと、さう云へば、角の交番の巡査は確に自分を厳重に監視してゐる、きのふも前を歩いてゐるとじつと鋭い眼を離さなかつた、何故そんなに見つめる、と呶鳴《どな》つてやつたと述べる。気味が悪くてたまらん、どこかええとこへ宿がへして了はう、と云ひ出せばまた執拗《しつこ》くなつて困るのだ。同期の連中が年月と共に次第に昇進した地位について行くのが、彼の最も不平とするところで、今に見い、頭さへ治《なほ》つたらと口癖になつてゐた。日本が俺のやうな人物を容《い》れなければ、満洲国が迎へてくれると、出入りに兵隊が喇叭《らつぱ》を吹くやうな広大な邸宅に住み、権勢の限りをつくすやうな要人の生活を夢見てゐた。そんな大言壮語したあとで
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