親をいやがらせる言葉を知つてゐたので、さう云つて脅して置いた。彼女も、あんな狂人の兄貴の云ふことなぞ本気に信じてゐるわけではなく、自分が笑つて軽く一蹴するのを期待してゐたのだらう。だが、息子の身体をこせこせと案じ暮すのも、用事がなくて退屈してゐる彼女にはちやうど気のまぎれることになつてよからう。
自分が年齢《とし》を取るたびに痩せて弱くなつて来たのは事実である。十八貫近くもあつたのが、近頃は十二貫五百も怪しい。
「――中学の時は柔道の選手をしてをつたからの、天皇陛下の御前で試合したのをおぼえてるぢやろ」
今朝がた兄は虫歯をスイスイ云はせながら、さう云つてゐた。同じことを母親にも聞かせたものと見える。
「――かつ子さん、あんたは本当にせんかも知らんが、アルバム見りやちやんとお分りになるが、中学の頃はでぶでぶしてビール樽ちふ仇名《あだな》ぢやつたのが、高等学校へ入つてぐんと痩せる、大学でまたぐんと痩せる、市役所へつとめるやうになつてからは益々|蜻蛉《とんぼ》かきりぎりすみたいになつて了うたのです、顔色も真赤で艶があつたのに、気味が悪いほど土色になつて了うての」
兄の彦造は、妻には叮嚀
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