なくとも、極めて神経過敏な自分は、誰か入つて来ればその気配《けはひ》ですぐに眼ざめて了ふ。眼をあけると、母親の小さな顔が恐しいばかりに真剣な表情で真近くのぞき込んでゐるのだ。自分はたちまち不機嫌さうに眉をしかめて、ぐつしよりと湯気を立ててゐる胸の汗を拭いた。
「――いけないか、どうだらう、お医者に診《み》て貰つたら」
自分は黙つて首を振つた。
「――かつ子にお医者を呼ぶやうに云つたんだが、亭主が病気なのにいつもより早く出て了ふし、……」
自分には老母の云はうとする意味は最初からよく分つてゐた。妻を悪く云ふために、自分の病気を利用してゐるまでだ。
「――出て行つて働いて貰はなくちや、家族一同が食ひあげる」
云はなくていいことを自分は嘯《うそぶ》いた。
「――そりやさうだが、お前、肺病らしいと云ふぢやないか」
「――誰がそんなことを云つた」
「――彦造が心配してをつた、学生時代にはぶくぶく肥えてたのに毎年毎年痩せさらばへて行くばかりぢやと、きつう心配してゐた、肺病にちがひないし、手当をするのは今のうちぢやと騒いでをつたが、……」
「――さうかも知れん、どうせ遠からず死ぬ」
自分は母
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