する意地も手伝つてゐた。さうは容易に退散してやらんぞ、一度は養子であつた自分に、遺産の分前を寄越《よこ》せ、それが当然だぞと云ひたげな表情もして見せた。しかし、本心の底はまた別だつたのだ。自分は旧藩主の育英会から奨学資金を貸与されてここの高等学校を出たので、何年ぶりかの京都を享楽しようかと思ひ立つたのだ。自分など、今までの生涯《しやうがい》を振返つて楽しかつた記憶はないが、強《し》ひて取り出せばs刳w校時代の印象がさうだ。その頃、自分ははじめて恋愛した。何か知らぬが、唯もうその悦びの極致がかなしく死と結びついてゐるやうなデリケエトな感受性に溺れる年齢であつた。相手の女は嵯峨あたりの僧侶の娘で、東山にある宗教学校に通つてゐた。どちらからとなく、そしてはつきりした理由もなく、死なうと云ふことになり、清水《きよみづ》の山奥で心中を計つたことがある。睡眠薬の量も足りなかつたのに加へて、晩春の雨が抱いて倒れた二人の上に降りそそいで、自分たちは蘇生したのだ。吐瀉《としや》を催して、自分たちは味気ない表情を見交した。しかし、すぐに思はず顔をそむけたのはどう云ふわけからだつたらう。恐らくは、お互ひに生
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