々しい顔をした。――「困つたやつちや――わしの責任になるがな」そして、今まで、爺さんの寝臥してゐた蓆《むしろ》を靴の先で蹴り飛ばした。
車はゆつくりと去つて了ひ、人々も散るのであつた。あとには、雨が再び寒く降りはじめ、女装は、
「おお寒むやこと、すつかり冷えこんでしもたわ」と、云つた。広場はもとの静けさに戻り、あちらこちらに火が燃え、雨の中に明るさが溶けて見えるのである。それは浮浪者たちが、大きな穴を掘り、その中で物を――塵芥を燃しながら、その白つぽいむせかへるやうな煙の横に、うづくまつて、眠りをとつてゐるのであつた。
「今晩は」などと、その穴の側を通りながら、小説家の同伴者は声をかけ、
「降つて困りまんな」と云ふのである。
兵隊辰とは――歩きつつ、彼(女)が語つたところによると、以前は軍人で、日清日露も両方とも出征して勲章を貰つたが、心臓を患《わづら》ひ、子供身寄もなくて、ここまで零落したのである。最近は殊に衰へ、寝込んでゐたので附近の宿なしたちが心配して、慈善病院に入れるやう「旦那」に交渉し、そして入れたのであつたが、すぐと、不自由な身体をひきずつて、この空地へ立ち戻つて来た、
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