と、今彼らの眼の前にある広場に蓆《むしろ》のかけられた血のしたたる屍骸が横たはつて、検死の済むのを待つてゐた。多くは無一物で、生きても死んでゐる者たちであつたが、ある冬の朝、近所のお神さんたちは、昨夜の轢死人は懐中に十円もの金を持つてゐたと噂し、そんな大金を持つてゐながら、どうしてまた死ぬ気になつたのであらうと語つてゐたので、それを聞いてゐた子供たちは大急ぎで柵をくぐり抜け、もしや、その不要な金を子供たちに分けてくれはせぬかと、一散に走つて行つたことである。)――
 処々高低のある、雨で軟くなつた土をごぼごぼと踏んで、彼らは、人だかりの方へ近づいた。外套をすつぽり着た巡査が懐中電燈を照して色々と命令し、人夫風の男が、ぐつたりした老人の大きな身体を、寝台車に担ぎ込まうとしてゐた。それはトルストイのやうな顔をし、白い鬚《ひげ》を長く延ばした爺さんであつたが、なかなか重いと見え、人夫は白い息をふうふうと吐いて少し手古《てこ》ずり、すると、人々の間から、白けた絆纏《はんてん》の浮浪者が出て――「爺さん、しつかりせえよ」と声をかけて片足をかつぎ、黒い布被《ぬのおほ》ひのある車へ載せるのであつた。
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