内するやうに云ふのであるが、もとより、小説家は子供の時に、そのレールの上に針金を寝かせ、電車の車輪にしかせてペチヤンコにしたり(彼はそれでナイフを作らうとしたのである)石を積みあげて、食物や道具を一ぱい載せてゐるにちがひない貨物車の顛覆《てんぷく》を企てたことがある位だから、必ずしも見知らぬ場所であるとは云へなかつた。北の方から電車が進んで来、警笛を鳴らし、蒼白《あをじろ》く烈しいヘッドライトはそれを避ける彼らの影を、雨に濡れた軌道の小石の上に大きく振廻すのであつた。越えると空地があり――その暗い中に、何やら人のざわめきがし、群れ集つてゐる気配があつた。
「轢死人《れきしにん》があつたんか知らん」と、女装の男は云つた。――
(ここで、もう一度、小説家の煩《わづらは》しい回想を許してやりたいと思ふ。かつて、このあたりではよく人々が轢《ひ》き殺された、彼らの生命が安かつたせゐかも知れぬ。夜更けてけたたましい警笛が長く尾を引いて鳴り、急停車する地響きがあると、仕事をしてゐる手を休めて、彼の母親は「また誰ぞ死んだ」と云つたものである。その時は身に迫るやうな寂しさを子供は感じた。そして、朝になる
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