ずくま》つて考へたり、立話をわいわいやつてゐた。小説家は、そのあたりが葱畑《ねぎばたけ》であつた時のことを、思ひ出してゐた。――
 それらの浮浪者相手に僅かの商売をする露店が立つてゐ――魚の骨や頭を、野菜の切れ屑などと一しよに塩で煮込んだのやら――それは暖かさうに泡を立て、灰汁《あく》やうのものを鍋の表面に浮かべてゐたし、また、すし屋の塵芥箱《ごみばこ》から、集めて来たらしい、赤い生薑《しやうが》の色がどぎつく染まつた種々雑多の形の頽《くづ》れたすしやら――すべて、異臭を放ち、しかしその臭ひが宿なしたちには誘惑である食べ物を一銭二銭で売つてゐるのである。それらにまじつて、古道具屋が二三軒、店を――店と云ふならば、小さな薄べりを敷いて、庖丁、釘抜、茶碗、ズボン下なぞをならべ、浮浪者の拾得物なぞも買入れてゐた。中には一昨年の運勢暦が講談の雑誌と一しよに立てかけてあるのもあつた。さうした古道具屋の一軒では、主人が仔細らしく老眼鏡をかけて、脊の低い女が持つて来た風呂敷包を開いて、品物の値ぶみをはじめたので、要もない浮浪者たちはその店先をかこんで、何や彼やと品物の批評をしたり、おつさん、もつと出したれ、なぞと云つて、女は少し上気し、両掌を頬にあてるのであつた。――風呂敷の中からは、仏壇の掛軸やら、浮浪者はそれについては「こら、真宗のもんには持つて来いや」と云つたが、道具屋はふんと鼻であしらひ、それから男物の着物、さらし木綿の肌襦袢、軍手なぞが出、最後に、使ひかけの石鹸や褐色のハトロン紙の封筒が十枚ばかり出た時には、無一物の浮浪者たちも――「こんなもんまで売らんならんとは、よくよくや」と、さすが低声で囁《ささや》きあつたのである。家にあるもの、金になると思はれるもの残らず、総ざらへして、女は持つて来たのであらう。――
 彼女が金を受取つて帰ると、道具屋はもう一度、今の品物を一つ一つ手に取つて調べてゐたが、満足して、それを、すぐ陳列するのであつた。それから、まだ立つてゐる小説家の方を、めがね越しに見て、少し考へた後、
「その傘はもういらん、けふは天気になる、どや、買うたろか」と、云つた。小説家は、この親爺がコーモリ傘だけを売れと云ひ、高歯の下駄のことについては言及しなかつたことに、雨はあがつたが、このあたりの深い泥濘を顧て、苦笑せざるを得なかつた。何か返事をしてやらうとした時に、
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