が、
「やあ、醒めましたかね。寒くはありませんでしたか。風邪でも引かせては大変だと思つて随分心配しましたよ。」
 と、急にいんぎんな言葉に変つて、にこにこと笑つてゐた。
 薄暗い電灯が一つ燭つてゐる屋根裏のやうな部屋だつたが、其処此処に散乱してゐる様々な道具類は凡そこの部屋にふさはしくない豪華なものばかりであつた。大型の紫檀の書棚には金文字の洋書が隙間なく並んで上段には中世紀の海賊船の模型や銀の燭台やらが並んでゐるし、一方の飾棚を見あげると数十種の洋酒の壜が四段、五段と隙間もなく並んでゐる。
 兵野が起きあがらうとすると、
「そのまゝ、どうぞ、それにくるまつてゐて下さいよ。」
 堀田は、立ちあがつて来て毛布で丘野をくるんだり、薬をさしあげませうか、とか、水なら、それそこに、今私が汲んできたばかりのがある――とかと、その細心の親切振りはまことに至れり尽せりといふべきであつた。
 この男の寂しがりの歌にあてられて、すつかり参つてしまつたと見へる――兵野は、さう思ひながら、唐草の切子になつた古風な硝子の水差からがぶ/\と水を呑んだ。いくらか醒めて見ると兵野は、大分てれ臭くなつて、脇を向いて酒の壜の並んでゐる棚を眺めてゐた。
「どれでも、よろしいのを御遠慮なく召しあがつて下さいませんか、お望みなら私がシエカアを振つてお目にかけませうか、私はひと頃欧洲航路の船でバア・テンをやつてゐたこともあるんですから、腕は相当自慢の値打ちがあるつもりなんですがね。」
 云ひながら堀田は、新しいウヰスキイの栓を抜いて、益々愛嬌よく兵野にすゝめるのであつた。
「それとも酔醒めの口あたりにはアブサンが好いでせうかな。」
 兵野は酒の智識に欠けてゐたので、ぼんやりしてゐると堀田は、いとも小器用な手つきでまた別の壜の栓を抜いたり、水のコツプを並べたりしてもてなすのであつた。
 さつき居酒屋の娘から、あなたは法学士のくせになどゝ云はれてゐたがバア・テンダアの経験があるなんて、仲々の苦労人と見へるな――と兵野は思つた。
 もともと一般の酒呑みの通有性で、醒めたとなると人一倍遠慮深い兵野は、歓待されゝばされる程気まりが悪くなつてきてやりきれなくなつたので、一気に酔つてしまはう、そして酔つた紛れに辞退しようと覚悟して、次々にグラスを傾けた。
「やあ、俺は――うちに客のあることをすつかり忘れてしまつたよ。斯うしてはゐられない。折角だが、失敬するぜ。」
 暫くして兵野が、そんなことを呟きながら、むくむくと立ちあがらうとすると、
「さうですか、それあ残念だなあ……」
 堀田は、深い吐息といつしよに心底から名残り惜しさうに呟くのであつた。――「ぢや、また明日の晩、都合がついたらお君ちやんの家に来て呉れませんか、私は雨だらうが嵐だらうが屹度行つてゐますから……」
「えゝ、行きませう、屹度行きます。」
 兵野は、堀田の涯しもない純情味に心からの魅力を感じさせられて、はつきりとさう云ふと勇ましく握手を求めた。
「あゝ、さうですか、必ず、ぢや待つてゐますよ。あゝ、私はもう、明日貴方に会ふことが出来なかつたら、死んでしまふかも知れませんよ。」
 余程堀田も酔つた紛れの亢奮に駆られ過ぎてゐたとは云ふものゝ、さう云つてしつかりと兵野の手を握つた時、不図兵野がその眼に気づくと、涙が止め度もなくハラハラと流れてゐるではないか!

     二

 外まで出れば車があるだらうから、決してそんな心配をしないで呉れ――と再三兵野が辞退するにも関はらず、堀田は、しやにむに送らせて欲しい――と主張して諾かなかつた。
「それに私は、今夜は中野の阿母《おふくろ》のところへ行つて泊りたいんですから……」
 兵野の行先きも中野だつたので、
「さうですか、中野にお母さんがいらつしやるんですか、そんなら伴れになりませう。」
「そんなに、妙に遠慮深いことばかり云はれちや困つてしまふな――ねえ、君、友達になつたんだから、これから何も彼も遠慮なしにして貰ひ度いな。そのうちにね、僕は一身上のことで、是非とも君に相談になつて貰ひたい話があるんだが、諾いて呉れる?」
「遠慮なく、それこそ――僕で役に立つことが出来たら、何だつて引き享ける。」
 兵野は、ほんとうにそのつもりで誓ふやうに云ひ放つた。
「嬉しいな、僕は斯んな愉快な晩に出遇つたのは始めてだよ、ねえ、僕は生れながらに孤独の性質なんだが、決してその孤独を愛することは出来ないんだ――友達を探して、探し索めてゐたんだ、ところが今日までいろ/\な奴につき合つて来たが、好い加減な時分になると、どいつもこいつも申し合せたように僕を裏切る……」
「それあ君、考へようにもあるだらう、さう君のやうに激しく、何も彼も、一途に考へたら……」
「でも、君は――僕は大丈夫のやうな気がするんだ。は
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