は、もう一度、今の言葉と同じことが口に出かゝつたが、あまりそんなことばかりを続けて云ふのは、返つて空々しく堀田の気嫌をとるが如くに思はれさうな気がして、遠慮してしまつた。
三
細い露路を幾つも幾つも曲つたり、危なかしい溝板《どぶいた》を堀田に手をとられながら踏み越えたりして、凡そ、ものゝ二三町も、ぐる/\と同じような軒合ひばかりを歩いた後に、漸く広い電車通りに出た時には、兵野は酒の酔が次第に高まつて来て何とも危い脚どりであつた。
「しつかり僕につかまつて下さいよ。」
堀田は兵野の腕をおさへてゐたが、殆ど兵野は半身を彼にもたれかけてゐた。堀田は、あんなに飲んだにも関はらず殊の他しつかりとしてゐて、車を物色した。
無論、もう電車などは通つてゐなかつた。二筋のレールが、冴え冴えと水のやうに静かな路上に光つてゐた。
兵野は、一体、これは何処かしら? と思つて、眼を凝らして停留場のあたりや、あちこちの看板などを読まうとしたが、遠すぎて何うしてもわからなかつた。
「おい、今日のクラス会は大いに面白かつたなあ――貴様に酔はれたんで、俺はすつかり白々しくなつてしまつたぞ。」
火の番が通り過ぎた時、堀田は大きな声でそんなことを云つた。変な、ふくみ声だな! と兵野が思つて、見ると、堀田は外套の襟を深くたてゝ口にはマスクをつけてゐた。そして彼は、おそろしい酩酊者らしい声を張りあげて、
「あひはせなんだかよ――たてやまおきでよ――」
と歌つた。
車の通るのも稀になつてゐたので稍暫くたつてから漸く一台のタクシーを呼び止めた。
「中野まで――スピードを出してやつて呉れ。」
と堀田が命じた。
……橋を渡つた。永代橋かな? と兵野は思つたが、当てにはならなかつた。
「して見ると、さつきも相当永く車に乗つてゐたわけだつたんだね。」
「……さうとも。君は、あの時も一と寝入りしたんだぜ。今に、僕の居所もはつきり話すから、今日は、今夜だけは、何も聞かないで置いて呉れ。それにも、少々、事情があるんだからね。――まあ、もう少し飲まう。」
堀田は、ウヰスキーのポケツト壜を懐中からとり出して、兵野にすゝめ、自分も壜の口から飲んだ。
「あれ、上野の停車場ぢやないか、違ふかね。」
「違ふよ/\。――ところで君、君の家はあの居酒屋の直ぐ近くかね?」
「ちよつと離れてゐるが――あの辺まで送つて呉れゝば好いさ。」
「なあに、家の前まで送るよ。歩けさうもないぢやないか。車は、入るか?」
「入るものか――」
「中野――何町だ?」
「上《かみ》町だよ。」
「番地は――?」
「君が教へないから俺も云はんよ。」
兵野は、酔つ払ひらしい意地悪るで、そんなに云つた。
「まあ、好いさ――ぢや、名前を聞かせて呉れたまへな。天野……?」
……未だ、天野――と思つてゐるのか? と兵野は苦笑した。
「天野か……どうして君は左う思つたんだ?」
「だつて、君の外套に左う誌してあるぢやないか?」
「兵野だよ、兵野一郎といふんだよ。」
「それあ、失敬した。僕は、堀田冬夫といふんだが――」
「どうせ、明日また会ふんだから、お互ひの戸籍調べは後まはしに仕様よ……」
こんどは兵野の方で、面倒になつてしまつて打ち切つた。
「いや、御免/\――どうせ今、送つて行くところなんだから、表札を見れば解ることなんだ。」
と堀田はひとりごとのやうに呟いてゐた。「いろいろと話しにくいことは、手紙に書きたいと思つてゐるんでね。」
「僕は今、叔父が居た家にゐるんだよ。さう/\、表札と云へば、僕の表札は出てゐないよ、その代り家賃は無しだ……」
「ぢや、何々方――だね。」
四ツ谷から新宿にさしかゝつた頃になつて、兵野は漸く方角に気づいた。
四
兵野は、洋酒の度を過すことに不慣れだつたせいか、車から降りると、殆んど脚腰がまゝにならなかつた。
「よし、ぢや僕がおぶつて行くよ。」
堀田は甲斐甲斐しく、外套《とんび》を脱いで、それを兵野に羽織らせると、着物の裾を端折つた。昼間は、うら/\として好天気続きで、すつかり春めいた陽気であつたから兵野は外套を着てゐなかつた。
そんなに大袈裟に構えられると兵野は、恐縮して気をとり直したが、とてもひとりでは歩けさうもなかつた。――脚が地にすれ/\になるくらい兵野は、だらしもなく堀田の肩にぶらさがつて、空地を横切つたり、露路を曲つたりした。
「何番地さ、え、君、番地は? 次第に依つては、近道を行かう。」
「君は、この辺の地理に明るいの?」
「相当――。だつて阿母は五年も此方にゐるんだもの。」
「三十七番地だ――知つてゐるか?」
「……さうか。大概、見当はつくよ。だから、君は安心して好いよ。」
兵野は、堀田の肩で半ばうと/\しながら運ばれて行つた。
間
前へ
次へ
全6ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング