るからな……」
「なあに、今夜は大丈夫だよ。これから、中野まで行くうちには醒めてしまふさ。それを、俺は、いつも阿母の間借りをしてゐる傍まで行つて、つい、あの、おでん屋に寄つて酔つ払つてしまふのさ。はつはつは……」
「一体、此処は何処なのさ――中野から、そんなに遠い処かね。」
 兵野は、あの居酒屋の附近かとばかり思つてゐたので、斯う問ひ返すと、堀田は、何となく、あかくなつて、
「まあ、そんなことは気にしなくつても好いさ、そのうちに阿母のところといつしよに此処の番地も覚へて貰ふからね……」
 云ひながら彼は、立ちあがると押入れをあけて和服を取り出し、今迄の洋服との着換へにとりかゝつた。――一間より他にないところなので堀田は兵野の直ぐ眼の先で、ワイシヤツを脱いだりしはじめたから、否応なくその様子が兵野の眼に映るのであつた。
「夜が更けたせいか、こいつは仲々寒いぜ、君、寒くはないか、よかつたら僕の羽織をもう一枚その上に羽おつて行かないか。」
 堀田はワイシヤツを脱いで、胴着を着たり、しゆつ/\と鳴る絹の音をたてゝ長襦袢の袖を通したりしてゐた。
 おや/\、あの襦袢の柄は何処かで見たことのある模様だな――不図、兵野は左う思つた。紺地の裾に、般若の面を染め出した長襦袢であつた。
(さうだ――)
 と、酔眼を据えながら兵野は気づいた。いつか盗まれた親父の着物についてゐた襦袢の柄だつた。自分もしば/\あれ[#「あれ」に傍点]を着て歩いたものだつた――と思ひ出した。兵野は、それと似た襦袢を見て、過ぎ去つた頃のことなどを考へ出したり、思はぬ堀田が、自分の好みからか、同じ模様のものを着用してゐるのを見て、他合もない、因果めいた、新しい親しみを彼に覚えたりしてゐた。
「仲々、凝つた柄だね、それは――」
 兵野は、見惚れながら呟いた。
「いや、恐縮だね、なあに平凡なものさ。」
 云ひながら堀田は、重ねの着物をとりあげてゐた。
「僕も、大分前、それと好く似た柄の襦袢を――尤も親ゆづりのものだが、着てゐたことがあつたよ。」
「ほう、――そいつは悦《うれ》しいね、君と僕とは、して見ると趣味の上で、一脈の相通ずるものがあるのかも知れないね。ははは!」
 次に堀田が、さつと身に着けた細い大島絣の着物を見ると、それも兵野が以前同じく父親ゆづりで着慣れてゐたものと、殆んど同一のものと見られた。
 で、兵野
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