鱗雲
牧野信一

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)私は可怪《をか》しな気がする。

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一杯|宛《づつ》傾けた。

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)掻き※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]つて、

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)水平にひら/\とする。
−−

     一

 百足凧――これは私達の幼時には毎年見物させられた珍らしくもなかつた凧である。当時は、大なり小なり大概の家にはこの百足の姿に擬した凧が大切に保存されてゐた。私の生家にも前代から持ち伝へられたといふ三間ばかりの長さのある百足凧があつた。この大きさでは自慢にはならなかつた。小の部に属するものだつた。それだと云つても子供の慰み物ではない。子供などは手を触れることさへも許されなかつたのだ。端午の節句には三人の人手をかりて厳かな凧上げ式を挙行したものである。――因縁も伝説も迷信も、そして何として風習であつたのかといふことも私は、凧に就いては聞き洩したので今でも何らの知識はない。花々しい凧上げの日の記憶が、たゞ漠然と残つてゐるばかりである。それにしてもあれ程凄まじかつた伝来の流行が、今はもう全くの昔の夢になつたのかと思ふと若い私は可怪《をか》しな気がする。
「ほう! そんな凧が流行したことがあつたのかね、この辺で――」
 故郷の同じ町にゐる私と同年の青年ですら、私が一寸した興味から詳しいことを知りたくなつて凧のことを訊ねたら、反《かへ》つて私が法螺でも吹いてゐるんぢやないかといふ風に空々し気な眼を輝かせてゐた。「ほんの一部分の風習だつたのだらうね。それが子供の君の眼には世界中のお祭りのやうに映つたのさ。君の子供の頃まで、それ程にも未開な区域が残つてゐたのかねえ。」
「B村には僕の親類があつたのだが、あの村などは一層烈しかつたぜ。僕は祖母や母に伴れられて遥々と凧見物に出かけたものだ。」
「B村と云へば、あの村は中央電車鉄道に買収されて、電車道になつてしまつたな。」
「B村が!」と私は叫んだ。
「あれを知らないの? 今は家なんて一軒もあるまい。B村なんて名称も残つてゐるかどうか。」
「そんなことはない。吾家の知合ひの青野家はちやんとある。悴のFとは今でも僕は文通してゐるんだもの。」
「一軒位ゐはあるかも知れんな。」
「百足凧といふのは――」と私は、こゝで何やら感慨深さうに首を振つたが、煩瑣を忍んで、曖昧ながらにでも此方が凧の構造を説明しなければならなかつた。
 凧だから勿論竹の骨に紙を貼つたものである。巨大な百足なのだ。大団扇のやうに細竹を輪にして、さうだ、丁度ピヱロオが飛び出す紙貼りの輪だ。之を百足の節足の数と同じく四十二枚、それには両端に竹の脚がついてゐる、つまり団扇の柄が上下についてゐるやうなものである。その脚の尖端には夫々一束の棕梠の毛が爪の代りに結びつけてある。この四十二枚の胴片はその左右の脚を、夫々均等の間隔を保つて二条《ふたすぢ》の糸でつなぎ合せるのだ。だから胴片は水平にひら/\とする。尾は、主に銀色で長く二つに岐れてゐる。頭には金色の眼球が風車の仕かけになつて取りつけてあるから、らん/\と陽に映えるのである。房々と風になびく巨大な鬚は、馬の尻尾を引きぬいて結びつけたものである。
 勿論凧師と称する職業家が造るのであるが私は、製作の実際は見たことがない。十日位ひ前に凧師が来て手入れをする光景《ありさま》より他には知らない。青野家などではその手入れだけでも三ヶ月も前から凧師が滞在して準備に忙殺されてゐたさうである。爪の代りの棕梠の毛からしてその年毎にいち/\分銅に懸けて重さを計つて置かなければならなかつたのだ。紙は毎年貼り代へるところもあるし、塗り代へで済すところもあつたさうだ。いざ当日となつて、吾家の凧などは到底この仲間には入らなかつたが、主だつた持主は夫々工夫を凝らした上句の新奇を競ふのであつた。B村の当日の騒ぎなどは恰も大川の川開きのやうな賑ひだつた。前日までは堅く秘密が守られてゐたから、何んな姿の百足が現れるかと、見物人は片唾をのんで待ち構へてゐる。競争者同志の間では深夜に間者を放つて敵手の工夫を窺ひにやつたなどといふ挿話も屡々伝へられた。或る持主は見物人に賄賂を贈つたり或ひは内意を含んだ数十名の味方を見物中に秘かに放つて、自家の凧が現れると同時に割れんばかりの賞讚の嘆声を放たしめて敵手の毒気を抜いてやる計画を立てた。A家の今年の凧の眼玉は本物の金だといふ噂が伝つて愕然としたB家では、にわかに胴片の鱗を悉く金箔で塗り潰した。C家では先代が採集の途中で倒れ、遺言状の個状書の一つに加へられてゐたといふ白馬の尻尾の毛を、漸く今年は新しい当主が完成して百足の鬚を雪のやうな白髪に変へたといふ噂も流布された。だが反対党(議員選挙のいきさつからであるか、或ひは凧の争ひがもとになつて選挙の方も分れてゐたのか? 大凧の持主程の者は常々から幾派にも分裂してゐた。)の説に依ると、C家の主人が襷がけになつて深夜こつそりと黒い馬の尻尾を胡粉で染めてゐるところを垣間見て来た者がある。雨が降れば化の皮が現れる、それが証拠にはあの主人はこの一両日毎晩天候の具合を窺つて星月夜が続いてゐることをたしかめた後に、自分から吾家の今年の凧はこれ/\だと吹聴し廻つたのであるなどとも云はれた。D家の主人は当日二人曳きの車を一里も先きの隣村の橋畔まで飛して、望遠鏡をもつて遥かに吾家の凧を望んで、E家のよりも二間あまり高く飛んでゐたと云つて溜飲を下げようとすると、E家の主人はそれは風の享け具合で糸の長い方は反つて下に見ゆるものだと主張した。この両家は毎年糸の長さを競ふてゐた。
 私は、このB村の凧上げ日の朝の光景などもはつきりと覚えてゐる。晩春のうら/\とする陽を浴びた芝生である小山の斜面に赤い毛氈を敷いて私達は競馬場のやうな凹地を見降してゐるのだ。競技に出場する程の凧になると一つの胴片の直径が五尺近くもあつたに相違ない、一つの胴片を一人の男が捧げるに充分だつた。それらは夫々両端を糸でつないであるのだが、彼等が意気揚々と繰り込んで来る光景を遠くから眺めると楯をかざした一列縦隊の兵士が調練をしてゐるやうに見えた。金色の楯をかざした一隊があつた。紅色の分隊があつた。銀色の楯をきらめかせて整然と駆けて来る小隊があつた。観衆は声をからして自党の隊伍に向つて、あらん限りの声援と賞讚をおくつた。――私には、あれが百足のかたちをした凧になるとは思へなかつた。つなぎ目なども見えない、バラバラの美しい団扇か楯により他見えなかつた。得体の知れない土人の踊りでも見てゐるやうな気もした位ゐだつた。……ところが、そのバラバラの楯や大団扇が一度び地を離れて空中高く舞ひあがつたのを眺めると、まさしく一個の巨大な百足に一変するのだ。百足は悠々と金色の胴体をうねらせて面白気に浮游してゐる。下で見た時にはハタキのやうだつた左右の棕梠の毛を結びつけた脚は、見事に百足の節足に変つて具合好く胴体の釣り合ひを保つてゐる。短か過ぎはしないかと思はれた馬の尻尾の鬚も、まことに百足のそれらしい。眼玉がクルクルと回つて滑稽な凄味を添てゐるし、数片の鱗はキラキラと陽に映えながら節足類のそれらしい細やかなうねりを見せてゐた。然し、百足らしく見ゆるまでには其処に余程の時がはさまれての後だつた。即ち、銀色の楯の一隊が先づ一町も先きまで進むと彼等は各自の楯を静かに芝生の上に立てかけた。そして、また一町を戻り彼等は一条の綱に三間置き位ひの割合ひで取りすがるのであつた。風見係りの者が、いざと号令を懸けると、彼等は慌しい井戸換への連中のやうに綱を引いて一勢に駆け出すのである。同時に、パラパラと向方の楯が舞ひあがる。それはつなぎ提灯のやうになつたり、弥次郎兵衛のやうに両脚をよち/\と打ち振つたり、それぞれあちらこちらに飛び散るやうに見えたり、してゐるかと見ると、やがて中空に浮んで大うねりを漂はせながら一列に並んでしまふ。駆け続けてゐるあげ手の方では、凧に最も近い者から順々に手を離して行くのである。この呼吸を見るのが余程の熟練を要するらしい。うつかり早過ぎて離すと凧があがり損ふ。また、まご/\して離し損ふと勢ひに釣られて綱と一処に五体が空に舞ひあげられてしまふ。先のあげ手がためらふてゐるうちに、次の一人が先に離したら、先の者はアワヤと云ふ間に何十尺もの高さに釣りあげられた、ゆつくりと綱を伝つて降りて来れば無事だつたらうに、泡を食つて思はず手を離したから忽ち鞠になつて落下し、気絶した惨事を私は目撃したが、そんなことは珍らしくはないさうだ。
 いつの間にか、凧は、小さく完全な百足の姿に化して遥かの空中にのたり/\と泳いでゐるのであつた。鱗がキラ/\と光つてゐる。二条の尾が胴に逆つてあちらこちらになびいてゐる。――まつたく、仮装行列の出たら目な道具のやうだつた片々が、忽ちのうちに活きた百足の模型に早変りして悠々と青空にのたうちまはつてゐるのだ。
 私は夢見心地になつて、飽かずに眺めた。私は、吾家の百足凧があまりに貧弱なことを顧みて、吾家に凧道楽の人が現れなかつたのを憾んだり、自分も大人になつたらあれよりも素晴しい凧の持主になりたいものだと沁々と願望した思ひを今だに記憶してゐる。
「何と云つても青野の凧が一番立派ですね、あそこではなまじな塗り換へなんぞはしないで、毎年同じ意匠のまゝであげてゐるんだが――」と母は、私の肩に手をかけながら祖母に話しかけてゐた。
「それでもあの方が反つて毎年の手入れは厄介なんだつて。その代り凧としては一年増に具合は好くなるばかりです。あそこでは張り合ひなんぞは一度だつてしたことはないが、釣合ひの好い、出来る限り上りの好い凧にするやうに究めるのが、おぢいさんの望みだつたんだよ。」
 私は、青野の悴のFと一処に見物してゐたのだが、他所のやうに花々しくはないが知り合ひの家がさういふ勝れた凧の持主であるといふだけでも何となく肩身の広い思ひがあつた。
「青野でも今ではFさんと妹と二人ぎりになつたので、二人とも主に東京に住んでゐるさうだがお前は会つたことがあるの、向方で?」
 つい、此間の晩母と私は、月を仰いで夕涼みをしながら斯んな会話をやりとりした。
「お前が居なくつても家には時々来るよ。」
「さう……」
「だけど何時でも云ふことが違つてゐるので何だか案ぜられてならない!」
「どんな風に?」
「田舎に引き籠つてもう暫らく研究をするんだと云つたかと思へば、突然その翌日来ると一ト月ばかりの予定で東北の旅行に行つて来るといふいとま乞ひ!」
「おや、ぢや今は留守かしら?」
「此方に? それあ、だつて普段は東京――。東京では務めに出てゐるとは云つてゐるが?」
「…………」
「大変なお酒飲みになつたといふ話だが?」
「…………」
「あの子は理科だつたね。」
「えゝ、僕よりも一年先きに大学のそれを出てゐる。」
「さうかと思ふと、斯うしては居られない、斯んな風に愚図々々と遊んでゐたひには……」
「…………」
「とう/\屋敷も取られちやつたよ、なんて笑つてはゐるが。」
「とう/\!」と私は、思はず眼を丸くして口真似した。そして、口のうちで意久地なく呟いだ。「チヨツ、何処まで俺に好く似てゐるんだらう!」
 ――質問した私が、あべこべに説明者の位置に立せられて答案した、凧の極く大ざつぱな構造をその儘私は此処で述べるつもりだつたのが、その時もさうだつた通りまた私は余計な感情に走つて無駄な努力を込め過ぎてしまつたらしい。青野に関する母と私の会話は永々と続いたのであるが緒口だけで絶つて置かう。
 別の晩であつた。ふとしたことから母と私はあの凧に関する思ひ出噺に新しく花を咲かせた。夜か十二時に近くなる頃から私は、突然凧の熱心な研究家に変つた。手
次へ
全5ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング