母家を離れて住んだことのある竹藪を背つた家の趾らしいあたりには、支那そば屋と氷屋と居酒屋が並んでゐる。母家の趾には銘酒屋が立ち並んで景気の好い三味線の音が鳴つてゐる。私は隣りのバーによろけ込んだ。
「あんた東京の学生さん?」
「うむ……」
「おゝ、嬉しい、妾も東京よ。」
また隣りの洋食屋に私は移つた。「いけ好かないアンちやんだよう、誰がおなじみなのよ。ふんとに人が悪い、しらばつくれて!」
……往来に転げ出ると、思ひも寄らぬタクシーが通つてゐる。「青野に会ひたい、あいつが凧のことを忘れてゐるにしても、あいつの顔を見るだけでも俺はいくらか救はれるだらう。」――屹度私は斯う呟くのである。夢中で私は、一里あまりあるB村に自動車を飛ばせるのが常だつた。私は、大声を挙げて腕を振り地団駄を踏んだ。私は、青野の父や村長の後に続いた決死の勢子達の一員に花々しく吾身を投じた陶酔をはつきりと味つた。
青野の家は、以前の姿をあたりの景色と同様に全く滅ぼして、丘の一隅に粗末な洋館に変つてゐる。闇の中に一点の灯が浮んでゐる。畑を超えた一軒家である。
「もう来る時分だと思つてゐた。妾、今日あんたの家へ行つてた
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