毒薬を嚥んだ者のやうに髪の毛を掻き※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]つて、空壜に等しい頭を殴つた。その挙句の果、泥酔してゐるものゝそれだけ一途に凧を追つてまつしぐらに夜の街に飛び出すのが常だつた。
 故郷の町であるのに其処は全く私にとつては見知らぬ街だつた。といふのは、あの大地震の後に上京した私は、時々此処に帰るのであつたが、いつも何故か無性に人目をはゞかつて、逃げるやうに眼を覆つて母の家に行き着く以外には何処にも出なかつた。だから私には、一朝の間に消え失せて曾ての薄暗い古びた街の印象より他はなかつた。
 私には見当もつかない。道幅の広い瓦斯灯が昼のやうに煌いてゐる樹木の一本もない不思議な街を私は見た。私は此処こそ暗い横丁だらうと思つて逃げ込むと、其処にはペンキ塗りのバーやカフエーが軒をそろえて客を招んでゐる。たしかに知合の茶屋のあたりだと思つて、一散に駈け込むと活動写真館だつた。知つた人の影にも遇はないのは私にとつては幸ひだつたが、せめて知合ひの茶屋の行衛《ゆくゑ》を往来の人を捉へて訊ねて見ると空しく言下に首を振られる。カフエーなどは停車場の前より他には無かつた筈だ。私が
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