た。
「おや、大塚、貴樣も寢たか。」
 やがて、水兵は闇の中でわたしに呼びかけるのであつた。
「うむ、寢た。貴樣、大層醉つたな。水は枕元にあるぞ。」
 とわたしは云つたが、もう彼はまた非常な鼾であつた。わたしは妙に胸がざわめいて眠れなくなつたので、莨をとつて、そつとライターを點けた時、不圖仁王のやうな腕だけがぬツと傍らに突き出てゐるのに、ハツと思ふと、その拳にはしつかりと一本の銀笛が握られてゐた。そして鼾は毛布の奧底だつた。



 明方わたしが目を醒まして隣りを注意すると、いつの間にか寢床は綺麗に整理されて、その上に「失禮、失禮」と誌した一枚の紙片が載せてあつた。その翌晩からは、ぴつたりと銀笛の音は消えて、ひそかなるわたしの樂しみもなく、わたしは專念作業に沒頭するばかりだつた。
 旗艦「山城」が、一等巡洋艦「鳥海」「高雄」「摩耶」「愛宕」航空母艦「赤城」以下、第十驅逐隊「狹霧」「漣」「曉」を隨へ、仄かなる春の霞みが岬の彼方に煙り初めたとは云へ、未だ如月の夢深い曙の波を蹴立てゝ、威風堂々、○○方面を指して遠洋航海の碇を卷いたのは、あの翌朝のことであつた。――何もわたくしは、あの水兵が聯
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