音開きには堅く錠が下ろされ、母の机上には、不景気な『ナショナル・りいどる』と、灰色の『すゐんとん万国史』等が悄然と積み重ねてあるばかりで、徒らに余の退屈をそそつたからである。
余が、その質問を発した時、彼女がなんと答へたか、忘れてしまつたが、以来余は、余の枕辺で読書する母の姿に接することが無くなつたので、一層余は好奇心を助長せしめられたのであつた。
母の旅行中のことだつた。或る日余は、盗賊の心となつて、鍵を盗み、母の黒い書箱の前に忍んだのである。――他人の整理物を掻き乱すことの、留守居中の持主に対するあの痛々しい悲しみは、さやうに余の如き不道徳を行つたことのある少数の同志には容易に、理解して貰へるだらう。……余は、馴れぬ手際で、乱暴にガチガチと錠前をねぢつた。――それで、好く、開けられたものだつたが。
雑誌『文芸倶楽部』『新小説』などが、恰もそれぞれ貴重な単行本でもあるが如く、背を並べて、巻を追ひ、汚れもなく二側に羅列されてあるのも眼についた。書籍は、背文字のない雑誌形のものが過半数で、そこには貸本屋のそれのやうに一々自筆で、題名が記されてあつた。――余は、挿絵のありさうな書物を
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