余話
秘められた箱
牧野信一

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【テキスト中に現れる記号について】

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(例)稍※[#二の字点、1−2−22]
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 厳格らしい母だつた。
 幼時余は、母に、『論語』を学び、二宮尊徳の修身を聴講し、『ナショナル・りいどる』巻の一に依つて英語を手ほどかれ、『和訳すゐんとん万国史』を講義された。それらの記憶は、ひどく曖昧である。『論語』では、母のそれでは、「友アリ遠方ヨリ来ル」云々に就いての解釈を朧げに憶えてゐる。『ナショナル・りいどる』では、母がそれを購ふ時「なしよなる・りいどるの巻の一……」と云つたので、何やら余は、ハッとしたことを憶えてゐる。「巻の一」といふ響きが、余の姓名のそれと通じた気で、妙なハニカミを感じて、それとなく母の袂を握つたことを憶えてゐる。『すゐんとん万国史』は、余が稍※[#二の字点、1−2−22]長じた頃だつたが、ただその書物の装幀が、灰色に太き金文字を印したる表紙を憶えてゐるのみである。おそらくこれは明治初年版の書物に相違ない
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