》になりたい者は――」
「そいつは。お前がうつてつけだぞ。」
「……まあ、さう云ふ風に、扮装《いでたち》をそろへて――酒飲みの会でも催ほしたら何うだい。」
 そんな衣裳が、鬘などもそろつて此処の蔵の中には幾通りともなく保存されてある。海棠の古樹が屋敷うちに林になつてゐて、花の季節になると樹の間/\に無数の雪洞を燭し、花見の客が想ひ/\の扮装を凝して一夜の宴を縦《ほしいま》ゝにするといふ行事が、五六年前に亡くなつた池部の父親の代まで、昔ながらに続いてゐたのである。婦人連は一勢に元禄模様の振袖を着て手踊りを催したり、酒のお酌を仕廻つたりして賑やかな花見の宴を催す有様は、人々に現世の憂さを忘れしめ、さながら遠く物語の時代に遊ぶ思ひを抱かしめるといふ専らの評判で、海棠屋敷の花見の宴といへば村々の人々から指折り数へて待ち焦れられたお祭りであつた。
「然し随分暑苦しいことだらうな、この真夏の晩と来たら――」
「婦人連が汗を流して、お行儀好く、あの姿で――俺達|武士《つわもの》にお酌をする光景を想ふと、これ御同役、一興ぢやなからうかね。」
 そんな話になると、また誰やらが咳払ひをしながら、当今自分達
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