礼な人だこと――だから、あんたは野蛮人だと云ふのよ、婦人の前で、好くもそんな馬鹿/\しいことが平気で云へたものだわね。」
「いや、それが僕の讚嘆の言葉なんだよ、雪江さんの美しさを讚へる!」
二人が、馬鹿気た争ひをとり交してゐるうちに麻雀の連中が勝負を終ると、また、その中の一人が、
「僕は三谷に賛成だ。こつちの話に気をとられて滅茶/\に負けてしまつたぜ――。それあさうと此間誰かゞ提言した仮装舞踏会を今夜あたり開かうぢやないか――」
「皆なが、水着ひとつ――で、といふやつわ、あれあ実に花やかな思ひつきだ、近代的のバアバリズムも此処に至つて、その極致に達したと云ふべきだ。大賛成だ、ね、雪江さん、メンバーをかり集めようぜ。」
水着の舞踏会なんて、まさか実現もしなかつたが彼等は雨が降ると退屈に身を持てあまして何時も何か奇抜な遊びはないものかと逞ましい戯談《じようだん》を語り合ふのだつた。
「仮装舞踏会と云へば――」
とまた誰やらが、真面目さうに云ひ出した。「蔵に行くと、いろんな衣裳が沢山あるぢやないか。あいつを一番持出して、裃を着たい奴は裃、鎧武者に扮《な》りたい力持は甲を被り、奴《やつこ》になりたい者は――」
「そいつは。お前がうつてつけだぞ。」
「……まあ、さう云ふ風に、扮装《いでたち》をそろへて――酒飲みの会でも催ほしたら何うだい。」
そんな衣裳が、鬘などもそろつて此処の蔵の中には幾通りともなく保存されてある。海棠の古樹が屋敷うちに林になつてゐて、花の季節になると樹の間/\に無数の雪洞を燭し、花見の客が想ひ/\の扮装を凝して一夜の宴を縦《ほしいま》ゝにするといふ行事が、五六年前に亡くなつた池部の父親の代まで、昔ながらに続いてゐたのである。婦人連は一勢に元禄模様の振袖を着て手踊りを催したり、酒のお酌を仕廻つたりして賑やかな花見の宴を催す有様は、人々に現世の憂さを忘れしめ、さながら遠く物語の時代に遊ぶ思ひを抱かしめるといふ専らの評判で、海棠屋敷の花見の宴といへば村々の人々から指折り数へて待ち焦れられたお祭りであつた。
「然し随分暑苦しいことだらうな、この真夏の晩と来たら――」
「婦人連が汗を流して、お行儀好く、あの姿で――俺達|武士《つわもの》にお酌をする光景を想ふと、これ御同役、一興ぢやなからうかね。」
そんな話になると、また誰やらが咳払ひをしながら、当今自分達が見慣れた婦人達の流行といふものは、専らアメリカ流のスポーツの影響ばかりで、恰で近頃ぢや男女の区別も無きかの如き有様だ、古風な振袖に包まれ、しやなり/\と恥らひを含んだ婦人達の最も慎しやかな姿のうちに夢を抱いてこそ真に得難い甘美な悩ましさを得られるのではなからうか――などゝ至極怪し気な衣裳論を持ち出したりした。
「さう云へば蔵の二階に、とても立派な生人形があるのを誰か知つてゐるか?」
俺は遇然に見たのであるが、その瞬間《しゆんかん》、思はず幽霊ぢやないか! と思つて、仰天の叫び声を挙げた程だつたが、あれは実際生きた人間そのまゝの風情だ――婦人連の面あてに、あの人形を持出して夜会の席に据えようぢやないか――などゝ云ひ出した者があつた。
雪江は、不図視線を避けて庭の方を眺めてゐた。亡くなつた姉を思ひ出した。母が悲嘆のあまり、京から人形師を招いて造らせた姉の面影である。母は、姉の着物を一切人形のために整へて、春には春の衣裳をといふ風に季節/\に従つてねんごろに取り換へたり、髪のかたちを結ひ直したり、音楽を聞かせたりして恰も生ける娘にとりなしたと同じやうに慈しみながら余生を送つた。――それつきり誰も手も附けずに箱の中にたゝずむでゐる筈だが、一体今頃は何んな着物を着てゐるだらうか――不図そんなことが気にかゝつた。
皆なは、そんな途方もない思ひ付きに烏頂天になつて――俺は、やつぱり裃の殿様に扮りたいね――とか、そんなら俺は鎧甲の軍人《いくさにん》が好い――ぢや俺は前髪姿の愛々《うひ/\》しいお小姓になるぞ、お白粉を真ツ白に塗つたら見直せるだらう――とか、さう大名ばつかりが多くては芝居にはならないから、誰か、せめて敵役を買つて出ろよ、蛇の目の傘を構へた定九郎がダンスを演るなんて仲々持つて粋だらうぜ――などゝ、とりとめもなくざわめいてゐた。
二
雪江は、ひとりそつと抜け出して蔵の二階に来て見た。窓側に在る人形の箱の前に来て丁度唐紙程の大きさのけんどん[#「けんどん」に傍点]になつてゐる蓋をとつて見ると、人形は三枚重ねの冬の衣裳だつたが、金泥に唐獅子が舞つてゐる丸帯が解けて脚元にからまつてゐた。そして、お納戸地に緋の源氏車をあしらつた裾模様の振袖を、着換への途中でゝもあるかのやうにふわりと肩に羽織りかけて、艶やかな夜桜ときらびやかな般若の舞姿を背から胸へ、それか
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