であつた。縁端によろめき出て昏倒した若侍は加茂であつた。
「さあ、これで一段落でござります故、今度は一つ皆さんの西洋流のダンスなり何なりと御自由なところを――」
鬼達に抱へられた舞姫が楽屋に去ると村長が、いんぎんな態度で池部にお辞儀をした後に、此方の学生達に、無礼講をすゝめてゐた。
その頃ほひに滝尾は、そつと座を立つて、ふらふらと怪しげな脚どりで蔵の階段を昇つてゐた。雪洞を翳して、しどけない格構で段々を昇つて行く迂参な若侍であつた。彼は、人形の箱の前に来ると二つの行灯に火を点じた。
もう殆んど生体《しやうたい》もなく酔つてゐると見へて一挙動/\が、夥しくテンポの鈍い注意深さに囚はれてゐる見たいであつたが、箱の蓋は先程《さつき》から開け放しになつてゐるのも承知であつたらしく、手にしてゐる雪洞を人形の顔に面明りにして覗き込むと重々しい声で唸り出した。「お前の今宵の艶やかさは――その眉は、星月夜の空に飛んだ流れ星のやうな風韻を含んでゐる。その眉の下にうつとりと見開いてゐる瞳は神潭《しんたん》の雫《つゆ》を宿して、虹の影が瞬いてゐる。」
彼は、顔と顔とをすれすれにして、また一歩を退いて、
「神代の彫刻家が山霊の加護に従つて鑿を揮つたその鼻筋の端麗さは、芙蓉の峰の崇高《けだか》さを思はせる。」
と続けて、今度は矢庭にその唇に接吻を求めた。「おゝ、この唇の艶やかさは、翼ある馬に跨がつて万里の海底を経回《へめぐ》らうとも得難き一片の貝殻である。」
人形は、般若の舞姿と夜桜の長襦袢に、衣裳を羽織つたまゝの姿で、立ち尽してゐるまゝだつたが滝尾は鬼のやうに酔つたまゝさつきの踊りの中で述べられた鬼の呪文を真似て、
「おゝ、そして私には、お前の肌が何んな貴い光りを含んでゐるか? 禅堂に百日の断食を行ひ、滝に打たれ、火に焙られて千日の苦行を続けようとも、想ひの裡に許されぬ怖ろしい魅惑の夢だ。」
と続けながら、胸を撫で、脇腹を伝つて次第に脚のかたちを模索するかのやうに撫で回してゐた。
そして彼は人形を抱きかゝえると、静かに床に腰を降した――人形の体《たい》が、すると、なよ/\として彼の腕の中に魚のやうに物やはらかく凭れかゝつてゐた。胸が震へてゐる、そして、眼は、気うとげなまたゝきを浮べ、
「命があるのよ――踊りに誘はれて、つい仲間入りをして、今戻つて来たばかりの時だつたの。」
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