勢ばかりを張つてゐるものゝ内心は至つて臆病な彼は、折角の若い日も滅茶苦茶になつてしまつた気がして、暗然とした。これが動機となつて意固地な運命は何処まで暗い行手を拡げることだらう……転々《ごろ/\》と、底の知れぬ程深い谷底へ、足場もなく転げ落ちて行く一個のごろた[#「ごろた」に傍点]石に、われと自らを例へずには居られなかつたのだ。
 純吉は、湯槽の中で思ふ様四肢を延して、朝の陽を仰いだ。前の晩、卑しい妄想に病《なや》まされて到々明方までまんじりともしなかつた。夜が明けて救はれた気がした。湯をわかすことを命じてから暫くうと/\した。厭な夢ばかり見続けた。起された時は、夏の朝らしい爽々《すが/\》しい陽が庭に一杯満ち溢れてゐた。彼は夢中で湯槽へ飛び込んで、吻《ほ》ツと胸を撫で降した気になつたのだ。
 純吉は、大きな声で女中を呼んだ。
「煙草を喫《す》ふんだから、一本つけて来て呉れ。」
 純吉は、湯の中に仰向けの儘煙草を銜《くは》えて、悠々と喫《ふか》し始めた。静かな朝だつた。煙りはゆらゆらと立ち昇つて、天井に延びた。
「おい/\。」廊下から宮部が騒々しく純吉を呼んだ。「何時まで湯に浸つてゐる
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