畳をいれた。
「巧いものだな、あの滑り具合の……」加藤もそんな感投詞を放つた。「無数の真珠を、銀盤の上に落すやうな音だ。」
「俺は何となく風船に乗つてゐるやうな気持になつて来た。」と木村は情けなさうな声で呟いた。
「この儘皆なで此処で、眠つてしまふのも好いね、月夜の海辺だぜ。」
「それは好いね。」と、その時始めて純吉は低く呟いた。純吉も、勿論胸の中を一脈の清水が流れ通つてゐるやうな爽々しさを覚えてゐたのだ。
「もう好い加減にして、宮殿を襲はうぜ、これからあの音の主に眼見《まみ》えるんぢやないか、幸福/\。」と加藤がせきたてた。
「そつと忍び寄らうぜ、虫の音を消さないやうに……」
 彼等は口々に、科白でも云ふやうに、つまらぬ文句を吐きながら、だが動作は飽くまでも熱心に、悪漢のやうに息を殺し、体を曲げ、足音を忍ばせて、窓に近寄つた。――間断なき轍の音は、刻々と鮮かになり、その合間には晴れやかな女の笑ひ声などが交つて聞えた。[#横組み]“Rolling―Rolling―Rolling”[#横組み終わり]ぐる/\回る、ごろ/\回る……。
 純吉の胸では、轍の響きに伴れて、そんなに、これもとりとめなく鳴り続いてゐた。そして彼の心は、薄暗く滅入つて行つた。――(ごろ/\ごろ/\、転がる/\。)彼は、途方もなく暗い空想に走つてゐた。
 それにしても、これからまたあの明るい快活な家へ入つて行かなければならないのか、そして俺もスケートを演らなければならないのか!
 ふつと純吉は、そんな風に気が附くと、――この儘蟹のやうに砂の中へ潜つてしまひたかつた。



底本:「牧野信一全集第二巻」筑摩書房
   2002(平成14)年3月24日初版第1刷
底本の親本:「婦人公論 第九巻第十二号」中央公論社
   1924(大正13)年11月1日発行
初出:「婦人公論 第九巻第十二号」中央公論社
   1924(大正13)年11月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2010年1月17日作成
2010年5月23日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全8ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング