? さうぢやないのか、小説は女のことでなければ面白くないからな、……おい岡村、俺にも読せて呉れ、貴様にそんな腕があるとは知らなかつたぞ、……太え奴だア。」
 隣りの声など耳には入らず純吉は、眼を凝してゐた。(活字になると、何だか自分が書いたものぢやないやうな気がするな……何としてもこれが俺の二度目の小説なんだ、運命には敗《まか》されたが、この収穫で悦びを得たいものだ。)そんな他合もないことを念じながら純吉は自作を読み始めた。(以下岡村純吉の小説『ランプの明滅』をその儘挿入する。)

 試験の前夜だつた。彼はいくら書物に眼を向けてゐても心が少しもそれにそぐはないので――で、落第だ。と思ふと慄然とした。と、同時に照子の顔が彷髴として眼蓋の裏に浮びあがつた。彼にとつては照子の存在が、その落第を怖れる唯一の原因だつたから、然も彼は非常に強く照子の存在を意識してゐたから、非常に落第を怖れた。何故なら照子は、いつも口癖のやうに、
「妾、秀才といふ文字程美しい感じのするものはないと思ふわ。妾はその感じだけにでも、妾の生命の全部を捧げて、涙を滾して恋するわ。」と云つてゐた。彼は、自分が秀才と正反対のものであるといふことを照子が侮辱して暗に嘲弄してゐるものと知つてゐた。……フン! とばかり、彼は無念のあまり、高飛車に落着を示してゐたが、内心非常に照子の言葉に圧迫され、辟易してゐた。
 或る時彼は、戯談《じようだん》紛れに、だが胸に一縷の望みを忍ばせて、
「僕は照ちやんのやうなお転婆と結婚がしたいよ。」とからかつた。
「妾もよ。順ちやんのやうなノラクラ茶目助と結婚したいわよ。ホツホツホ。」――で一撃のもとに笑殺されて、つまり彼の言葉の反応どほり戯談の儘とほつたのだから好さゝうな筈なのに、何時までたつても照子の云つた結婚云々といふ言葉にこだわつてゐた彼だつた。それは「どうしてなのか。」と考へて見るまでもなく「片恋」と極めて簡単に解つてゐたが、よく恋の心理を現した和歌などに「何故か――」「涙ながるゝ。」などゝ、遠回しな象徴化《シンボライズ》を見せられると、反感とまでゆかず滑稽を感ずる彼だつたが、照子を思ふとどうやら自分の心持も「何故か、涙ながるゝ――」の気持らしかつた。
 時間は遠慮なく過ぎて行つた。書物の第一頁すら彼の頭に入つてゐなかつた。彼は、一秒を刻んだ時計の針に落第を思ひ、さうして
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