んだい、稀に朝起きをしたと思へば! 居眠りでもしてゐるんぢやないのか?」
「あゝ煩いなア!」純吉は、さう呟くとさもさも迷惑さうに顔を顰めた。「もう浜から帰つて来たのか? チヨツ!」
「未だ寒くつて海へは入れなかつたよ。加藤と木村がこれからスケートへ行かうツてさ。」
「厭だ/\。」と純吉は首を振つた。(スケートといふのはローラー・スケートのことである。それが流行した頃だつた。)
「厭もないもんだ。昨夜はどうだい、あんなに面白がりやがつた癖に……」
 そこに加藤も出て来て「昨夜は純公の評判が一等素晴しかつたなア。お百合さんは貴様に確かに秋波を送つたぜ、なア宮部?」
「昼間になると変に気分家面なんてしてゐる癖に、塚田へ行くとイヽ気なものだ。」
 塚田の画室をスケート場にしてゐたのだ。百合子は塚田の従妹である。
「ほんたうか?」純吉は、からかはれたことを打忘れて仰山に湯槽から飛びあがつた。
「だが駄目だよ、これからは海が始まるんだからな、泳ぎなら俺様が大将だからね。」と加藤はふざけて胸を張り出した。「百合子さんは泳ぎの出来ない奴は嫌ひだつて云つたぜ、どうだい参つたらう、だが、それにしても彼の君が浜辺に現れたらさぞさぞ……」
「もう止して呉れ。」
 純吉は、もう不気嫌になつてゐた。彼は、タヲルにくるまつて日当りの好い縁側に出た。加藤は押入からスケートの車を取り出して回転の具合を験べたり、油を注したりしてゐた。
 木村は、純吉の机の前で薄ツぺらな雑誌を切《しき》りに読んでゐたが、純吉の姿を見ると、
「馬鹿だな、斯んな下らねえことを書いてゐやアがる。」と笑つた。純吉は、ハツとして其方を見ると、思つた通りそれは自分が同人の一人になつてゐる文芸同人雑誌だつた。湯に入つてゐるうちに着いたものと見える。純吉は、非常に慌てゝ木村の手から雑誌を奪ひ取ると、赤くなつて次の間へ駆け込んだ。そして胸を轟かせて頁を繰つた。それには彼が、冬のうちに書いた二度目の短篇小説が載つてゐた。空想で書いた小説だつた。(あの空想が到々本物になつてしまつた。)と彼は呟いだ。そして彼は一寸意味あり気に眼を閉ぢたりした。(運命を出し抜いてやらうと思つたら、まんまと返り打ちにされたか!)
「文科の癖に何だい、その拙さは……」など、隣りから木村が笑つた。
「純公が小説を書いたのか?」加藤の生真面目な声も聞えた。「女のことか
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