そこでは一人の友達もなく、稀に往来などで旧同級文科生などに出遇ふと、神経的な虫唾が走つたり、向方も向方で、あの稀代な劣等生は未だ生きてゐたのかといふ顔をするし、――結局この町にも長くゐたならば、丁度あの文科同級生と自分との関係になるに違ひない――となど彼は思ひもした。嫌ひだとか何とか云ひながら、それに引込まれる烏耶無耶性を彼は多分に所持してゐた。
(……若しもタキノが、己れの日録なるものをつくらなければならなかつたならば、彼はその第一日以後をどんな風に綴らなければならないであらうか? ……)
未だ外の景色が明るかつた時分から、ひとりでチビチビと酒盃を傾けてゐたタキノは、もう波に浮んでゐる程の心地になつて、ふつと自分で自分のことをそんな風に呼び棄てにした。――そして、何を云つてゐるのか? と、セヽラ笑つた、ひとりで――。
(ねばならなければ……ならなければならない……)
そんな馬鹿気た語呂だけが、安ツぽい玩具の滑りの悪い車みたいに舌の上をころがつた。
(……大変云ひ憎い、何とかといふ文句を、三辺も四辺も息も切らずに唱へる……子供の時分にそんな喋舌り競走をしたことがあるね! えゝと?
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