も、性質が性質なので……誰の性質? H・タキノ? S・タキノ? ……」
 細君は、胸で、舌を鳴して凝ツと堪へてゐた。そして、わざと眠さうな顔をして、汽車の響きを、消へるまで後を追つたり、時計の音を数へたりした。
「ウツ! われ徒らに無明の酒に酔ふにあらず……と、云へたら面白からうが、チョツ! お酌をしろ! ……鸚鵡能く言へども、飛鳥をはなれず、猩々能く言へども禽獣をはなれず、いま、人にして礼なくば、能く言ふと雖も、禽獣の心をはなれず、ともあり、或ひは……」
 昔母から教つたことなど、と云ひかけて、あゝと、彼は酔漢らしい仰山な溜息を吐いた……。
 この晩は、細君は、いつものやうに退屈な厭な気がそれ程しなかつたが、その代りに妙に夫の顔つきが薄気味悪るかつた。で、彼女は、
「あたしも小田原へ行つた方が好いと思ひますわ。」と沁々した調子で云つた。だが、あまり低い声で云つたゝめか、夫の耳には入らぬらしかつた。
 彼の頭には、斯んな光景が浮んでゐた。……(牀前月光を看る、疑ふ是れ地上の霜、頭を挙げて山月を望み、頭を低うして故郷を思ふ。)――「李太白」――中学二年の時覚えたものだ。
 まつたく、そこ
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