らない――斯う母は云つたのであるが、彼は、時々母が日記をしらべる為か、書けば屹度誰かに読まれるやうな気がして、多少の感想はあつても書くのは厭な気がして、例へば、朝どんなに皆なに起されて、不精無精に起き出でゝ、口惜し紛れにおぢいさんと喧嘩をした……さういふ種類のことでも書いて置かなければいけない、と母に注意されるのであつたが、彼は如何しても恥しいことを書くのは厭だつた、勉強しない日でも、必ず勉強したと書くのであつた。毎日見られるわけではないのだから、多少の嘘はごまかしが利くだらう、八時に起きて危く学校が遅刻になりかゝつた時でも、七時起床と書いた、彼は「日記」に依つて、ごまかしを強要された、と後年思つたことがあつた。正月半ばまで書いた彼の日記帳が数冊本箱の中に、つい二三年前まで彼の故郷の家に残つてゐたが、一度彼は一寸それを開いて見たこともあつたが、幼時を懐しむ感傷などはそれこそ毛程も起らず、その無味乾燥な文章を見て、幼時の表裏ある心が見え透いて、反つて背中がムズムズするばかりで、煤掃きの時火中に投じてしまつたことがある。
たつた一個所、斯んな文章が眼についた。「――今日ハ小峯公園ニケイ馬
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