んやりと私の顔を視守るのであつた。そして彼は自分の仕事の説明をしたばかりで、相手の私に関しては何も訊ねることもなく、たゞたゞ私の顔ばかりを一心に眺めつゞけるばかりであつた。そして頭の中に何かのかたちを描いてでもゐるらしく、凝つと眼を据えたまゝ、私の鼻やら口つきやらを抉るやうに視据えるのであつた。――だが、私も彼の職業を知らされて見ると、それも殆んど気にならなくなり洒々と酔つたまゝ、
「面《めん》などといふものは、天狗とか、ひよつとことか、もともとあんな荒唐無稽な型ちが決つてゐるものゝ、やはり普通の人間の顔が参考になるといふ場合があるものなんですかね?」
 などと開き直つて質問したりした。
「あります。――やはり、はつきりと、その度毎にあるんです。わたしは……」
 彼は言下に答へた。――「腕の先では出来ません。怖ろしい夢ばかりを見るんです。何と申したら好いやら云ひやうもないんだが、夢が、眼の前に探し当てたものゝ汐にのつて、実を結ばない限りは、天狗も鬼もあつたものぢやない……」――「御面のかほつき[#「かほつき」に傍点]なんていふものは、それあもう此方の了見が汐にのつたあとなら、何が六つかしいの、何が楽だのなんていふ差別もなく、きまり切つたものなんですけれど、その笑つたり憤つたりしてゐるかほつきの蔭に、それこそ、飛んでもない、途方もない、わけと云つたら何もないらしい――つまり、その、振られて、振られて空の上へでもほうり出された見たいな、突つ拍子もなく馬鹿気きつた憂ひといふものが、夫々降りかゝつてゐなければならないんです。こいつは何うも口で云つても到底埒はあかない、理窟ぢや手に負へない――その上に、その時、その時に依つて異る自分の了見を、あれだけの定つた顔かたちの上に万遍なく現すために、他の人間の顔をかりようとするんだから……」
 彼は自分の云ひたいことが言葉にならぬのを、もどかし気に打ち切つて、いよいよ眼を据えて私の顔ばかりを視入つて来るので、さすがに私もいさゝか薄気味悪さを覚えて、
「そんなんなら何も僕に限つた事はなからうぢやないか、止めて貰ひたいな。僕はひとりで少々考へごとがあつて、ぼんやりしてゐるんだから、顔なんて見られるのは閉口だよ。誰の顔だつて飽かずにいつまでも眺めてゐたら、途方もない悲しみに満ちてゐるといふものだらうがな……」
 と私もつい余計な口を利いてしまつた。そして無理に笑ひ声をたてゝ見た。すると、正しく鳴き声ばかりが、彼のそれと似て鴉の如くクワツ/\と筒抜けながら、顔の筋肉は少しもゆるがなかつた。
「いゝえ、わたしは、あなたのやうに――さつぱりと振られて、見得も得意も、やけつぱちもないといふやうなお面を、いや、様子を何時にも見たことはないんです。」
「ちえツ馬鹿めんのモデルにされちや堪らないぞ?」
 と私は云ひ棄てゝ立ちあがつてしまつた。
「何もそんなに肚を立てないだつて好いぢやありませんか――」
 彼は私の姿を弱々しく見あげながら、悲しさうにつぶやくのであつた。いつか別の客に向つて、あれほどの圧倒的な威喝を浴せた男であるからには、いつかは短気を起して私の上にも目ざましい罵りを加へるだらう――私はそういふ光景を自分の上に想像して、吾ながらの生気を呼び反したいといふやうな憐れな状態だつた。
「然し、何ういふわけで――」
 と私は最も横柄な口調で唸らずには居られなかつた。「特に僕の姿にばかり、君は飛んでもない興味を持たうとするんだい。実に迷惑だな――」
「何ういふわけか――」
 と彼は益々弱々しく首垂れるばかりだつた。「見ると全く変哲もない顔なんだが――僕はあなたが憤つたり笑つたりする時に、その顔が何んな風に動くかと……何とも失礼な云ひぶんで申しわけありませんが、兎も角、云はせて下さい――はぢめて遇つた時から、不意とそんな考へを持ちはぢめたのです、ところが、あなたは笑つても憤つても、声だけで顔はちつとも変らないんです、空々しいと云へばそれまでだが、考へて見るとわたしは、そんな顔といふものにこれまで出遇つたためしがありません――それにしても、もと/\あんたはそんな風だつたんでせうか? 若しそうだとすれば得難い珍品だ、何にも動きのない顔にこそ、いろいろな動きの顔かたちが想像出来るものなのです。」
 益々妙なことばかりを云ふ奴だ! と私は気色を悪くしたが、若し彼の云ふ通りだとすると、自分にしろそんな人間の顔には接したこともない――と思はれた。
「神経衰弱のせゐだよ。」
 と私は云つた。笑ひ声だけは、クワツ/\とひゞいて、寧ろ私は彼のに似てゐるとは思つたが、その他の場合で、そんなに自分の顔つきが白々しいものとは考へられもしなかつた。もと/\自分は堪え性のない感情家で、泣いたり笑つたりの表情までが激しいたちだつたが、いつの間
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