ほすのであつた。刃はおろか、稲妻とも何とも云ひやうもない霹靂で、底光りを湛えた物凄さであつた。彼は相手の手応のないのを悟ると唇の端にわらひを浮べながら、ゆるゆると盃を執りあげてゐたが、私が瞥見する彼の姿は真に近寄り難い青光りの中に途方もない殺気を含んで蜂のやうに身構えてゐた。私は他人ごとながら有無もない恐怖に圧し潰されて、膳の下の膝がしらが可笑しい程震えてゐるのさへ止め難かつた。
 やがて向方側の二人伴れは、時を見はからつて、すご/\と立ち去つた。
 嘲笑の声も、憤激の啖呵も――私の疲れた頭に響くと悉くが己れの上にかゝつた譴責の声であるかのやうな妄想に駆られて、私の胸はびく/\と震えた。
 彼等の立ち去るのを見送つてゐた隣りの男は、その時、私に話しかけるともつかぬ独白めいた口調で、
「振られた人形が、二つ首をならべてゐやがるなんて、あいつ等、抜しやがつた。」
 とつぶやいた。――そして彼は、ぼんやりと私の顔を眺めてゐるのであつた。――ところが私は、たつた今、彼の様子に、そんなに怯えたにも関はらず、知らぬ間に酔でも回つてゐたものか、急に平気になつて、
「俺の顔に何か付いてゐるのか?」
 と突き返した。
「いゝえ――」
 彼は白々と素直であつた。
「ぢや何で、そんなにひとの顔を見るんだ、さつきの奴みたいぢやないか?」
 と私はふくれた。
「振られやがつた――と云はれたのが、実はわつしは痛かつたのさ。」
「…………」
 私はそんなことで話相手になるのは億劫だつたので、眼をつむつてゐると、
「仕事のやま[#「やま」に傍点]が見つからないうちは生きた心地もないといふものさ。振られてゐるといふのは、つまり仕事に置き去りを食つてゐるといふわけで……」
 彼は何やらわけの解らぬことを、くど/\と呟いてゐるのだが、私がまた不図眼をあくと、眼ばたきもせずに鋭く視張られた彼の眼光がやきつくやうに私の面上に注がれてゐるので、私は思はずぎよつとして慌てゝもう一度眼をつむらうとすると、逸早く彼が先に眼を閉ぢた。妙な人だ! と思ひながら私は彼の顔をしげ/\と打ち眺めた。鼻筋が嶮しく引きしまつた唇のあたりには如何にも抗し難い科白を吐きさうな凛とした厳しさが窺はれた。そして眼蓋が神経的にぴくぴくと震えてゐるのであつた。見るにつけ、その顔かたちは激しい雨にでも打たれたものゝやうな窶れと憂ひに覆はれてゐた。それでゐて、それは遊堕の後の窶れとは全く趣きの異なる何か張り切つた万遍のない神経がみちみちてゐるやうな迫力を覚えさせられるものであつた。私は次第に彼の崇厳な顔面に惑かるゝ感で、眺め入つてゐた。――すると間もなく、また彼が眼を開いたので私は驚いて眼を閉ぢた。
 そんなことが三四遍繰り反されてゐるうちに私は、とてもてれ臭くなつたので、彼が更に仮睡を装ふて顔を伏せた間にそつと帰り仕度をして立ちあがつた。そして外へ出ようとした店先から、何気なく振り返つて見るといつの間にか彼も頭を持ちあげてゐたが、反対の海の方の空を眺めてゐた。いつまでも明方のやうな薄暗さで、今にも降り出しさうな空工合だつた。
 翌日の明方頃、また私は空しい机の前を離れて、昨日の食卓で朝飯を喰はうとしてゐると、程なくまた彼が颯爽たる脚どりで這入つて来た。そして彼は私に気づくと、不意にからからと笑ひ出しながら、隣りに座を占めた。その時私は気づいたのであるが、彼の笑ひ声は鴉のやうな響きで、笑つても決してその表情は笑ひのために歪まぬのであつた。頭上の空を鳴き渡る鴉のやうに可成り長く笑ふのであつたが、彼の表情はカラス天狗のやうに悒鬱で、わずかに口が開いたまゝ喉の奥が空々しく鳴つてゐるだけなのであつた。
「やあ、また振られ同志の顔が出遇ひましたね……」
 彼はそう云つて、なほも奇天烈なワラヒ声をつゞけてゐた。
「厭なことを云はないで呉れ給へよ、おもしろくもない。」
 私は迷惑さうにつぶやいた。
「だつて、お前さんの顔には、ちやんとそうかいてあるんだもの……」
「……何うでも好いや。」
 私は横を向いて、煩さがつた、――まつたくきのふの彼ではないが、私としても斯んな状態の折から、幾度びもそんなことを耳にすると、一層気持が滅入るばかりで途方に暮れずには居られなかつた。
 ほんのわずかばかりの酒で、私はその時底もなく酔つてしまつた。――どんなはなしを彼と取り換したか殆んど記憶もないのだが「御面師《おめんし》――御面師とは?」
 と私は彼が何かのはずみに、私に、おめんしですよと云つた時、さつぱり意味が解らずに訊きかへしたのであつた。
「般若とか、ひよつとこ――とか、そんなものをつくるのがしようばいなんで……」
 さう云ふと彼は、ぐつたりと肩の力を抜いてふところへ向つて吐息を衝き、再び顔をあげると夢でも見るやうな眼つきで、ぼ
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