ゐた。私は、この角楯組の兵士の言葉に同感を覚えたので、
「おい、君、待つて呉れ――君の宛名を知らせて呉れ、君は俺の、容易に出遇ふことの出来ない友達だ。」
と叫んで、行列を横断しようとすると、急に車馬も群集も速やかに進み出したところであつた。私は腕をさし伸して彼を追はうとすると、
「馬鹿ツ、退れ――罰金だぞ。」
と突然、交通整理官に手酷い一喝を浴せられた。
「おーい。」
私は、ひるまず、ステッキの先に帽子を載せて高くさしあげた。
すると、二台も三台もの馬車が私を取り囲んで扉をあけた。
「お望み通りに小世界を見てから、おいおいと大世界の方へ参りませう。屹度あなたは非常な悦びと非常な利益を得て、その道すがら踊り出すに違ひありません。」
と御者の助手が言葉巧みに誘つた。
「やあ、何だか聞き覚えのあるやうな怖ろしい言葉だと思つたら――」
と私は二三歩後ろにたぢろぎながら、相手の顔をまじまじと打ち眺めて呟いた。「光りと愛を打ち消す者――メフイストフエレスの科白ぢやないか……だが、そんな洒落た科白で誘はれては此方も乗り込まずには居られないが――」
「そこで貴方も一つ科白の受け渡しを試みて見ませんか。」
「この※[#「髟/(冂<はみ出た横棒二本)」、第4水準2−93−20]面では仕方があるまい――といふ、あれだな、あれなら俺も思ひ出した。よし、では一番見得を切つて、唸り返してやらうよ、面白いぞ。」
と私は、まるで酔つ払いのやうに仰山に胸を拡げて、気取つた音声を発した。「だが、この※[#「髟/(冂<はみ出た横棒二本)」、第4水準2−93−20]では仕方があるまい。僕は軽妙な社交術に長じて居らぬから今回の計画はおそらく上首尾には行くまいと思ふのだ。人の前に出る段になると、無性に肩身が狭くなつて何うすることも出来なくなつてしまふのが僕の性質だからね。」
「そんな心配は無用ですよ。」
とメフイストの科白が続けられた。「処世の道なんてものは案じるより生むが易いと云はるる通りですからね。あなたが、ただ強い自信だけを以つて平然としてゐれば宜しいですよ。」
「そいつは心得た。で、出立の方法は?」
「はい、この上衣を拡げさへすれば、それで宜しいのです。」
と助手は「馬車」の扉を更に大きく拡げ直して科白を続けた。――「この上衣は私達を空中高く運んで呉れます。この大胆な旅行に重い荷物は一切御持参なさらぬがよろしいでせう。私が只今用意いたして居ります少しばかりの瓦斯が出来次第に私達は飄々とこの地上を離れます。そして段々体が軽くなると益々迅速に飛行することが出来ます。さあ、新旅行の首途を祝しませう。」
私は、これらの科白の受け渡しがあまりに流暢に、恰も吾々が日常の会話を取り交すごとくに自由に運ばれたのに有頂天になり、座席に飛び込むと、今度は全くの自分の言葉であるにも拘はらず、思はず今迄通りの、気取り込んだ重々しい声色で、
「俺に懸念することなく、案内役の勝手気儘に先づ最も愉快であらう小世界へ運んで呉れ。だが、この群集の列からは脱れて、出来るだけ速かに、あの花火の空とは反対の方角を目指して一散に飛行して呉れ――青い焔に背を向けよう。それツ、急げ急げ!」
と合図した。
人通りの全く杜絶えてゐるかのやうな公園の森の中を、タキシーは砂煙りを挙げて疾走してゐた。
不図助手が振り返つて(何といふ鋭い眼光を持つた青年だらう……と私は、その時はじめて彼の容貌に気づいた。どうやらさつきの角楯組の兵士の横顔にも似てゐる、あの鋭い眼光はフエスに憧るる者の眼だ――と私は思つた。)
「金貨は何枚位ゐお持ちですか?」
と訊ねた、今日私は、アゼンスの煽動政治に反旗を翻し、そしてソクラテス亜流の唯心哲学を嘲笑したアリストフアーネスの一作物――「乱雲」他一篇――の翻訳を三ヶ月ばかりで脱稿したところで、一袋の金貨を所持してゐたから、そのままそれを彼の眼の先に差し示すと彼は腕を伸して握手を求め、そして歌つた。
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「木造りの食卓また酒を出し得べし
炯眼を放ちて自然を見よ
ここに奇蹟あり疑ふ勿れ」
[#ここで字下げ終わり]
で、私も歌つた。
[#ここから2字下げ]
「偽りの姿と言葉
想ひを変へ国を変へて
ここに現れよ、またかしこにも」
[#ここで字下げ終わり]
彼もまた更に折り返して歌つた。
[#ここから2字下げ]
「………………
迷妄よ、彼等の眼より覆面を去れ。」
[#ここで字下げ終わり]
私は、兎でもぶらさげてゐるやうに胸の先につまみあげてゐた金貨の袋が、床の上に滑り落ちたのも気づかず、やつぱり袋をつまみあげてゐるまゝの胸のかたちをとつたまま、自分の歌ひ出さうとする歌に酔うた。さつき円楯組の軽騎兵が歩調に合はせて歌つて来た軍歌に、私は自分の作に依る歌詞
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