を調子づけて得意を覚えたところだつたので、また私はあの軍歌の節で歌つた。
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………………
転がせ転がせこの樽を
夜告鳥にさそはれて
樽は酒樽 鯨飲み
飲んで歌つて目をあけば
手品使ひの檻の中
………………
[#ここで字下げ終わり]
「おい運転手俺は綺麗な女の顔が見たくなつた。そこで婦人に対する礼儀を重んじて、この※[#「髟/(冂<はみ出た横棒二本)」、第4水準2−93−20]面を何処ぞの美容院で、さつぱりと剃り落して来たいものだな。」
「春の微風《そよかぜ》が頬を撫でるほどの感触も覚えさせずに、たつた五分間でさつぱりお顔をこしらへる手ツ取り早い理髪師を存じて居ます、私は――そこで、ロンバルデイの椿油で御髪《おぐし》を綺麗に分け込んで、オシリスの香りを含んだ香水を吹きかけられて、エヘンと一つ咳払ひをしながら、その店を出て来れば、屋根裏住ひの鼻曲りの哲学者も忽ち変じてドン・フアンの仲間入りが叶ふといふ名看板の理髪師を存じて居ります。」
「そいつは何うも少々話が甘過ぎるね。まさかバーデンブルグの美容師ぢやあるまいね。」
………………
註――一五〇〇年代の話であるから吾々のヨハン・ゲイテが戯曲ファウストの稿を起す凡そ二百年も前のことである。テレンブルグの医学博士ウヰールが「ファウストとの交遊」なる著に於て次のやうな挿話を伝へてゐる――ファウスト、魔術を乱用したる廉に依りてバーデンブルグの獄屋に投ぜられし時、蓬髪垢面の一教誨師に会ひたり。彼がファウストに述懐する処に依ると、余は剃刀を用ひることが実に不得意で本意なくかかる面貌をしてゐるのだが、御身に何か好き知識はなきか――と。ファウスト、膝を打ちて直ちに、剃刀を用ひずして※[#「髟/(冂<はみ出た横棒二本)」、第4水準2−93−20]を剃る方法を伝授したりき。教誨師は深く感謝して、ファウストに一壜の葡萄酒を贈り、加へてその罪を赦し獄屋より放ちたり。されど日を経るに従ひ牧師の面皮は次第に脱落し、終ひには肉までも失はれ、世にも浅はかなる面貌となりたり。追手を八方に放ちて怖るべきファウストを追跡したれど終に捕ふることを得ず。間もなく諸々の国々に、面皮脱落病なる不思議なる疫病が流行し、巷の風に骸骨の頬を曝す市民が頻々として続出するに至れり。この疫病を伝染せしむる者は、奇体なる装ひをなし町から町へ渡り歩きつつある怪し気な理髪師の仕業なり――といふことが判明したれども、理髪師の変装とその神出鬼没の出現は人力をもつては如何に為すべき術も見あたらざりき。彼は巨大なる一葉の団扇に乗りて空中を飛行し、山を越え、海を越え、更に時代を飛び越えて、永遠にこの疫病を流行させん――と豪語せり。されど、この「剃刀を用ひずして※[#「髟/(冂<はみ出た横棒二本)」、第4水準2−93−20]を剃る術」とのみ云へば魔的に聞ゆれど、余の研究するところに依つて見ると、これは単に、液状になしたる砒石の素を塗りつけるのみの至つて原始的な手段なりき。その他に於ける彼の様々なる魔術も科学上の説明を加ゆるなれば、凡そこの類ひのカラクリには相違なからんも、大方の諸賢は先づ世の化粧術師に対しては慎重なる注意を施すべきが肝要なり。彼の魔術師の子孫、何れの町に、如何なる姿に身を窶して潜み居るやもはかり知れざればなり。
二
「一体何を見てゐらつしやるの? ――あたしの眼だけを凝つと見て……他のことなんて考へてゐては駄目ぢやありませんか……」
私に腕をとられて颯々と踊りまはつてゐる綺麗なダンサーが、踊りながら私の耳に囁いた。
私は、口が利けなかつたので、片隅に誘ひ出して、窓に凭りかかつた。
「あたし、足でも踏まれやしないかしらと思つて、とてもひやひやしてゐたわよ。」
「失敬した。――どうも有りがたう。」
「何うなすつたの? 何をぼんやりしてゐらつしやるの、変な眼つきばかりしてゐらつしやるぢやありませんか?」
「今朝、手紙を書かうとして、ペンを探すと……」
「あたしに手紙を書かうとお思ひになつたの? え、――それで?」
「君ぢやない、田舎の友達なんだ。」
「…………」
「何てまあ景色の好い面白さうな田舎だらう、是非行きたい――と何時も君が云つてゐる田舎……僕が其処の生活を歌つた詩を読んだ君の憧れになつてゐる――」
「伴れてつて下さる。嬉しい! 何時?」
「あさつて――だよ。そんな靴ばかりを履き慣れてゐる君には、とてもあの山径はのぼれないのだ。だから、ロシナンテと称する僕等の名馬を――だね、停車場へ曳いて来て貰ふことを頼む手紙なんだ。」
「でも、あたし馬になんて乗れないわ、怖くつて――」
「何うしても馬車をつけるわけには行かないんだ、細い細い山径を三哩も上らなければならないから。」
「……さうなると、また愉快ね
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