はブロッケンの迷信を遵奉してゐる夢想家であつた。ブロッケンの山麓を目ざして群れ集うて行く長蛇である。――私は図書館の円天井の下での十六世紀の空中楼閣に、ありのままに迷ひ込んでしまつた。
馬車、馬車、馬車――大河の流れの如く続いて止まぬ馬車の行列である。近衛兵にとりまかれた金色の馬車が通る。遥拝すると、白髪の鬘をつけたオベロン王が、白孔雀の扇を胸先に構へてゐるチタニア妃と厳かに同乗してゐる。金髪の巻毛の鬘をいただいた総理大臣が内務大臣を相手に何事かを語らひながら静々と馬車をすすめて行く。長槍兵《フアーランクス》の一隊が青、赤、黄、色とりどりの三角旗を翻して隊伍堂々と列を組んで行く。一団の太鼓隊の壮んなる撥音に伴れて、軽騎兵の馬は朗らかな蹄の響きを挙げて節面白く行進して行く。
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街を過ぎ野を往き丘を越え
吾等は行くよ
青き火の炎ゆる祭りの山へ
………………
人の世の潮の流れ
嵐の雨、波に漂ひ
吹雪に目眩み
ああ、されど吾等は飛び交ふ
自由自在に
生と死と限り知られぬ海原に
天と地の定めも忘れ野の果に
翻つては飛んで行く
ただ知る、大神の御恵みの光り
………………
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斯んな軍歌の合唱が挙つた。円楯組の歩兵隊が、剣の先でその楯を叩いて調子を合せながら行進して来るのであつた。
すると、斯の軍歌に合せて街全体が巨大なサイレンのやうな唸りを挙げて、続く軍歌を合唱した。この、きらびやかな行列を取り囲む群集の和讚である。――合唱隊は見る間に街の彼方に行き過ぎて行つたが、その声は津波のやうに何時までも空に反響してゐた。
空には、花火が砕けては散りしてゐた。
杖にすがつて歩みを運んで行く老哲学者がゐた。望遠鏡を鉄砲のやうに担いで一心に空を眺めながら、ふらふらと歩いて行く天文学者も居た。シルクハットをあみだにかむつた不良青年が、長袴の裾をとつた恋人の腕を携へて、詩の講釈をしながら行き過ぎて行つた。
老若男女、限り知れぬ群集の流れであつた。そして、様々な、切れ切れの言葉が、何うかすると妙にはつきりと私の耳に聞えて来たりする。
……「円楯組と角楯組が、今夜はブロッケンの麓で戦車競技を行ふさうだが、君は何方の味方なんだい。」
……「それにしても、この人出ぢや、万一青い火が炎え出しても発見されぬうちに踏み潰されてしまひはしなからうか。」
「地上で、毎晩々々斯んな風なドンチヤン騒ぎを演じてゐたら、地の霊が好奇心を起して青い炎を噴き出しはしなからうか、といふのがこの祭りの主旨ださうだがね。」
「昨夜のページェントでは、悪魔と悪魔の格闘の場面がクライマックスだつたけれど、あれは一体何ういふ結末を吾々に予想さすための主題だつたのか知ら?」
「悪魔と悪魔でなければ、騒々しい音響が出ないではないか、悪魔同志の罵り合ひを聞かせたら、さすがの地の霊も眠りをさまたげられて怒鳴り出すであらう――といふ。然し生物のうちで、永遠に憎み合うてゐるといふのは互ひが悪魔であるといふことの証拠ださうだね。」
「あの場面にオルフェスの竪琴を伴奏につかつたところは舞台監督の奇智だつたな。」
「おお、フエス! おお、フイス! ――悪魔の格闘騒ぎで地の霊を呼び醒さうなんて、何とまあ怖しい謀みごとであらう。怖ろしい報いが来なければ好いが……俺の胸は震へて来た。あの空の無限の薄黒さにおびえずには居られない。あの空に閃めき出る光りの乱舞は、とうの昔にクリステンダムのセント・ジヨウジに退治された筈の飛竜が再び生を得て、吾等に向つて毒気を浴せかけてゐるかのやうだ。」
「フエス――だつて? ああ、さうか、愛といふ言葉であつたかね、フイス――健やかなる光り――か。何だい、馬鹿々々しい、愛とか、光りとか、そんな言葉は俺達はとうの昔に忘れてしまつてゐるよ。働くことと、享楽と――それ以外には何んな余裕もないんだからな。フエスとか、フイスとか、そんなことを云つてゐられるのは神学校の学生か、でなければ貴族のお姫様位ゐのものだらうよ。」
「君は呪はれてゐる。僕は神学生でもなければ、貴族でもない。角楯組の最も貧しい一兵卒だ、――教会堂の天気鶏の翼が未だ暁の露に沾うてゐる朝まだきに起き出でて、大隊長から小隊長までの楯と剣を磨いた後に、起床ラッパを吹き鳴らさなければならない身分の番兵だ。夜は夜で、降つても照つても、営舎の物見台に突ツ立つて、何時何処に炎えあがるかも謀り知れない青い焔のために張り番をしてゐなければならない見張番だ。何うして僕が、これだけの労役に堪へられるかといへば、兵士としての此上もない誇りを持つ他に、僕の胸を不断に沾すフイス(光)とフエス(愛)の爽々しい羽ばたきを感ずるからなのだ。」
いろいろな人々が様々な話を交しながら十字路で、堰の切れるのを待つて
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