思ひも寄らぬ大袈裟な美しさうな言葉を連ねなければならぬのかと考へると、文字が亦、これはまた言語同斷といふ程拙劣であつて私は途方に暮れた。親戚などに父の代理として時候見舞などを書かされる場合に、母が傍で視張つてゐるのであるが、私には何うしても、末筆ながら御一同樣へも何卒宜しく御鳳聲の程を――などとは書けぬのであつた。)――父との左ういふ習慣がすゝむと、私は決してそんな冷汗を覺えることもなく、自由となり、未だ父を見なかつた頃からケラア先生に教つてゐたので書き慣れてもゐたのであるが、ちよつとした旅先からなどでも氣輕に、親愛ナル父上ヘとも、汝ノ從順ナル息子ヨリとも書けたし、お早ウ、父サン――などと、彼の友達が居る場合なら呼びかけることも出來た。私は父親の書架に旅行記の類ひばかりが充ちてゐるのを見て、そんなものばかりを耽讀するので家に落着かぬのかと思つた。そして私に、はじめてすすめた本はガリバア旅行記であつたが、私はほんの少し讀んだだけで何故か憂鬱になつて止めた。その書架にどんな本が竝んでゐたか殆ど記憶にないが、ローレンス・スターンの風流紀行《センチメンタル・ジヤアネイ》といふのが酷く手垢に汚れ
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