マ]彼は、つまらぬつまらぬと滾して國府津の海岸寄りの方へ別居した。(述べ遲れたが、私の生地は神奈川縣小田原町である。)國府津町はその頃村で、東海道線に乘るためには電車で國府津へ向はなければならなかつた。自轉車に乘つて父のところへ遊びに行くと、いつもアメリカ人の友達が滯在してゐた。で私もそれらの家族伴れなどの人達に交つて、ピクニツクに加はつたり、凧をあげて見せたりするうちに、彼等と一緒になつて彼等の習慣の中であると、自然に父親とも親しめるやうになり、父と子は相對する場合でない限り、英語で口を利いた。私は、小學でも中學でも凡ゆる學科のうちで綴り方と作文が何よりも不得意で、幾度も〇點をとり、旅先などから母親にでも手紙が書き憎くかつたのであるが(母は私のハガキでも、私が戻るとそれを目の前に突きつけて、凡ゆる誤字文法を指摘した。第一文章が恰で成つて居らず、加けに無禮な調子であると訂正されるうちに、作文でも手紙でも私は、眞に考へたことや感じたことは、そのまま書くべきものではなく、左ういふことは餘程六ヶ敷い言葉を用ひて書くべきだ、左ういふ窮屈を忍んで、決りきつたやうな眞面目さうな、嚴しさうな、そして
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